一龍斎貞弥真打昇進披露

武蔵野芸能劇場で「一龍斎貞弥真打昇進披露」を観ました。関東では最後の真打披露だそうである。出身地の大分での披露目を残してはいるが、一応の千秋楽。会場となった武蔵野芸能劇場は貞弥先生にとっては、10年間三鷹講談会を開いてきた縁のある場所、思い入れのある場所だとおっしゃっていた。

「三方ヶ原軍記」宝井小琴/「時そば」春風亭柳枝/「春日局 家光養育」神田紅/「替り目」立川談春/中入り/「寛永三馬術 孝行市助」一龍斎貞花/「男の花道」一龍斎貞弥

談春師匠の口上がとても心が籠っていた。何も客寄せパンダとして出演しているのではなく、「お互いに20代の頃に最初に出会った」。場所は京都のとあるお寺で、貞弥先生(当然、その頃は講談師にはなっていない)の仏前結婚式で、新郎が友人だったので出席したのだという。

その後、その友人が「女房が講談教室に通い始めたんだよ」と言い、さらにその後、「女房が本職の講談師になったんだよ」と言われたときにはビックリした、と。失礼ながら、貞弥先生がナレーターをしていることを知らず、調べてみたら、「我が家のお風呂も彼女の声でした」(笑)。

師匠の談志も講釈が好きで、二ツ目昇進の基準に「講談の修羅場が読めること」というのがあったが、談春師匠は「お前は講釈の口調ができていない」と不合格だったとか。その談志師匠が「これからは“個”の時代だ」と口癖のように言っていた。落語も講談もいかに己を語るものにするかで売れるか、売れないかが決まってくると。

その意味で、談春師匠が言う。伯山先生の講談を聴いて「これが講談だ」と思われては困ると。それは伯山先生を否定しているのではなく、それも「講談の一つ」であって、それで全てではないということだろう。他の講談師たちも「また違う講談」で売れる必要があるというメッセージなのだと思う。その意味で貞弥先生含めた講談師の奮起を促しているのが、とても印象に残った。

貞弥先生の「男の花道」。透き通った声で読まれる男の友情物語は素晴らしかった。貧乏眼科の半井源太郎が中村歌右衛門の眼の手術を施す、その決死の思いがひしひしと伝わってきた。三日三晩が明け、歌右衛門の眼に巻いていた包帯を外したとき、「目が見える」という言葉にどれだけ安堵したことだろう。

そして、交わした男と男の約束。それが3年後にやって来たとき、歌右衛門は役者を辞める覚悟で、中村座の座元に「半井のいる座敷に駆けつけたい」と述べ、歌右衛門の舞台を待つ大観衆に向かって事の経緯を熱く語った。観衆は歌右衛門の友情に感動し、「早く行ってあげなよ」と声を挙げた。芝居小屋の様子がありありと浮かんで見えた。

そして、半井源太郎は男としての面目を施し、そして歌右衛門の男っぷりが上がった。半井は名医として名を上げ、歌右衛門も人気役者として益々活躍するようになる。これぞ、男の美学である。

きょうの公演のロビーの看板に貞弥先生の思いが掲げられていた。

【死生観・そして真打ち】あれだけ大きな病気をして、その前と後で、やっている「芸」が同じでいい訳がないんです。丁度、その後にこの真打昇進のお話を頂いて…。間違いなく、私は変化しています。それが「進化」とか「深化」なら一番良いんですけど。

【芸と「こころ」】茶化したりするのは、あんまり好きじゃないなあ。どんな演し物にも、そこには自分の人生を懸命に生きている登場人物たち―中村仲蔵とか与五郎、千代や原田甲斐、直助とか半井源太郎みたいな人たちが、いる訳でしょ。その「魂」を私がちゃんと引き受けて、作品に込められた想いだとか、そう…「本質」を読まなければいけないんだと、いつも考えています。

【楷書の芸】時々、そんなふうに仰って頂くことがあります。とっても有難いお言葉。じゃあ、「楷書」って何なのか?自分なりの解釈としては「省略しない」、師匠から教わった芸を、その精神的な部分も含めて、そのまま伝えることなんだと信じています。