花形演芸会 2つの新作落語について思うこと

花形演芸会に行きました。中入りの柳家わさび師匠、そしてトリの鈴々舎馬るこ師匠はどちらも新作だったのだが、一方はリアリティーというか「思春期の恋愛あるある」が共感を呼ぶ(と言っても、昭和世代に顕著なのかもしれないけど)創作、もう一方はあり得ない事象を劇画チックに描くことで、「伝統技術の継承」における現代性のあるテーマを感じる創作。非常に対照的な秀作が並び、新作落語という分野の幅の広さに無限の可能性を感じたのだった。

「道灌」金原亭駒平/「近日息子」金原亭馬久/紙切り 林家喜之輔/「お見立て」春風亭昇也/「純情日記~横浜編~」柳家わさび/中入り/「代書屋」桃月庵白酒/漫才 まんじゅう大帝国/「バルブ職人」鈴々舎馬るこ

わさび師匠の新作は柳家喬太郎師匠の作品だ。一番胸がキュンとなるのは、「当たって砕けろ」とアドバイスされ、主人公が思い切ってバイト先の好きな女の子の家に電話をかけ、デートの約束をするところだ。もしお父さんが出たらどうしよう、「デート」と言うと彼女は身構えるかもしれない、そして何より断られたら傷つく恐怖。もう、ドキドキだ。令和のように、携帯電話も、メールもない時代、「気軽に」誘うという行為に勇気が必要だった。

中華街で夕食を食べたあと、山下公園で夜景を楽しむ。だけど、緊張からか紹興酒を飲み過ぎて気持ち悪くなってしまった主人公。でも、ここで思い切って告白しなければ前に進むことはできない。「嫌だったら、僕が目を瞑って10数えるうちに去ってくれればいい」という不器用な方法を取るが…。目を開けたら、そこに彼女がいてガッツポーズしたのも、ぬか喜びに過ぎなかった。いやあ、本当に甘酸っぱい我が青春時代にプレイバックさせてくれる名作だ。

馬るこ師匠の新作は自作だ。バルブを調節して温泉の温度を調節するという、一見単純そうに思える技術が、他人が思うほど簡単なものではないということを、劇画チックな落語の世界で伝えている。東京から栗の木温泉観光協会にやって来たヤマちゃんが、師匠と仰ぐタカさんにバルブ調節の難しさを痛いほど知らされる。

データ主義は破り捨てられ、何の意味もないと思っていた呪文とポーズの習得が肝要だったことを知る。そして、元ストリッパーだったスナックのママさんから“鶴の型”を特訓され、さらに山籠もりして、猪や鹿や熊と共存することでバルブ調節の極意を身に付ける。「栗の木のイガ栗に感謝します。猪の脂身の甘さは栗の実のお陰…」という意味不明だった呪文の意味も分かったのだろう。

「現代の名工」という厚生労働省の制定する職人さんがいるけれども、一つの道に熟練した人というのは、最初は意味不明だったり、不条理だったりしたものを何度も繰り返し鍛錬することで、その意味を知り、極意を身に付けた人たちなのだと思う。現代では一見するとパワハラ、モラハラに分類されてしまう鍛錬が実は特殊技能の継承には必要ではないか。そんな問題提起を感じた。