日本浪曲協会三月定席二日目、そして十二代目横山笑吉勉強会
木馬亭で日本浪曲協会三月定席二日目を観ました。定席は1日に8人の出演者が顔付けされるが、そのうち1人だけ講談枠が設けられている。講談協会もしくは日本講談協会の所属の講談師が勤めるが、きょうは神田伯山先生であった。その人気のために、開演前にほぼ満席状態に。主任が雲月先生ということもあり、伯山先生の高座が終って引き上げるお客さんは、最前列を陣取っていた伯山先生の追っかけ女性軍団だけで、ほとんどのお客さんは帰らなかったので、安心した。
「風流形見の短冊」東家千春・伊丹秀敏/「魚屋本多」東家恭太郎・水乃金魚/「項羽と虞美人」国本はる乃・沢村道世/「老人と若者たち」富士琴美・水乃金魚/中入り/「男はつらいよ・第24作 寅次郎春の夢」玉川太福・玉川鈴/「太閤記」神田伯山/「父帰る」天光軒満月・伊丹秀敏/「徳川家康 人質から成長まで」天中軒雲月・広沢美舟
はる乃さんのパワフルで美しい声が響き、気持ちが良い。劉邦の大軍に取り囲まれ、もはや負けを観念した項羽。城内の家来を集め、身分の隔てのない最後の酒宴を開く。そこで、項羽は側室の虞美人と酒を酌み交わす。正室を持たなかった項羽にとって、唯一心を許せる“やすらぎ”だったことが伝わってくる。
初めて会った日のこと。馬に乗った勇ましい姿の項羽は鬼に見えたという。だが、虞美人と出会って、人間になれた。戦いに明け暮れ、中国を統一することが、人民に平和をもたらすと考えていた項羽の考えが改まった。戦い、人を殺すことが幸せなことと言えるだろうか?
苦しい胸の内を項羽が明かすと、虞美人は「来世では堅い契りを交わしましょう」と言って、舞いを披露した後、胸に剣を刺し、自害した。そして、豪傑と言われた項羽も劉邦軍に立ち向かうも、力尽きて、自ら命を絶つ。あの世で二人が安らかな暮らしが出来ることを祈るばかりだ。
雲月先生の高座には、家康の母である於大の方の優しい気持ちが籠っていた。母心と簡単に言葉ではいうけれど、ずっと人質生活を送っている息子の竹千代への思いはとても熱いものだと思う。
信長に「土産は母の心です」と言って、信長が竹千代との対面を許すのは、そこに本当の母心があったからだ。人質はさぞ寂しかろう、辛かろう、抱いてやりたい。溢れる涙。このまま連れて帰りたいと思うが、それもできない悲しい身の上だ。
竹に節があるように、人にも幾つか節がある。その節から芽を出して、成長しながら大成する。この読み物の外題付けにもあるように、家康は幾つもの節を乗り越えて天下を取った。そして300年続く徳川幕府という“天下泰平”の礎を築いた。その陰に、於大の方の深い愛情があったのだと感じ入った。
夜は神田連雀亭に移動して、「十二代目横山笑吉勉強会」に行きました。立川吉笑さんが「お客さんに甘える」本当の意味での勉強会である。だから、ここで勉強するネタは吉笑が演るのではない、別人格の横山笑吉が演じるのだというコンセプトだ。ちなみに、縦→横、川→山、吉と笑を入れ替えて、横山笑吉。十二代目というのは、この勉強会が12回目という意味だ。ゲリラ的に突然、開催をツイッターで告知するだけなので、僕もようやくスケジュールが合って初めて参加した。きょうも10人ほどのお客さんだ。
だから、三席演ったうちの最初の二席は、「ネタ卸し」とは言えない試作品の段階。よって、その内容はこの勉強会に来たお客さんだけで共有し、ネット上では非公開とする約束になっている。終演後の貼り出しも、「A」「B」「カレンダー」の三席というわけだ。
で、「カレンダー」はもはや鉄板ネタだ。僕は最初にこの新作を聴いたときに、発想の柔軟性、そして整合性に思わず膝を打った。普段、2月は閏年は29日で、それ以外は28日。その他の月も大の月は31日で、小の月は30日。このルールを当たり前のように受け入れて生きているが、そもそもそれは誰が決めたのだろう。そして、全世界の人間がそのルールを受け入れて暮らしている。というか、そのルールがなければ、世の中は破綻する。
これで1年365日、閏年は366日、上手く回っている。この落語を聴くと、そのルールの凄さに改めて気づかされる。2月だけ28日と少々少ない日数になっているのがミソなのか。太陽暦というやつ。でも、江戸時代は太陰暦だったそうだが、季節のずれが出るから閏月などを作って調整する必要があったそうだ。それを考えると、太陽暦の凄さを改めて思う…。まぁ、そういうメッセージが籠められている落語ではないけど、世の中の一般の人が「当たり前」とか「常識」とか思っていることに、引っ掛かりを感じ、もう一度考え直すというのは大切なことだと思う。