文楽「女殺油地獄」

国立劇場で二月文楽公演第三部「女殺油地獄」を観ました。特に豊島屋油店の段、豊竹呂太夫の浄瑠璃に、人形は河内屋与兵衛を桐竹勘十郎、豊島屋女房お吉を吉田一輔が遣って、大変迫力のある舞台が展開し、圧巻であった。

それにしても、河内屋与兵衛である。何という駄目な男だ。ろくに働きもせず、遊び呆けて、二十三歳にして親掛かり、不良少年ならぬ不良青年といったところか。徳庵堤の段では、野崎参りに誘った遊女小菊に振られた腹いせに待ち伏せして、同行していた会津のお大尽と喧嘩する。

河内屋内の段では、継父の徳兵衛に叔父を救うためだと嘘をついて金を借りようとするわ、妹おかちに真人間になるからと与兵衛の好きな女を嫁に取らせて家督を継がせるように操るわ、それも叶わないとなると継父・徳兵衛、それに実母のお沢を打ち打擲するわ、しょうもない。

豊島屋油店の段では、勘当はしたがやはり与兵衛のことが心配で何とか救うことはできないかと豊島屋女房お吉に話す徳兵衛・お沢の夫婦の話を立ち聞きして反省したかと思いきや、結局のところ、悪い借金の返済に窮して、お吉に無心し、それが叶わないとなると、殺害に及ぶという…。とんでもない男だ。

この駄目男を取り巻く人々の心情を慮ると切ない。

継父の徳兵衛。河内屋主人が亡くなり、奉公人だった番頭が徳兵衛の名を継ぎ、お沢の婿になった。その立場ゆえ、血の繋がっていない息子に対して、気兼ねして厳しいことを言えない哀しさ。与兵衛の兄である太兵衛が分家して立派にやっているのに、与兵衛は相変わらずの放蕩息子。太兵衛が「勘当すればよい」と言うものの、強気なことが言えない。武家の出身であるお沢は気が強いので、ようやく彼女の後押しで、与兵衛に勘当を言い渡すことができたが。

だが、それでも根っからの優しさのある徳兵衛だ。豊島屋を訪れ、与兵衛に改心するよう意見してくれと頼んだ上に、300文の銭を託す。実はその気持ちはお沢にもあって、その後に豊島屋を訪ね、500文とチマキを携えていた。この二人はやはり与兵衛を見捨てることができなかったのだ。それが親心というものなのか。どんなに駄目な息子でも親子の情愛というのは存在するものなのだなあ、と思う。

そして、この作品のカギを握るのが豊島屋女房お吉だ。前々から放蕩息子に意見をしてほしいと河内屋からは言われていたから、徳庵堤の段でも与兵衛に対し、それとなく忠告をするのだが、与兵衛は聞く耳も持たずに見栄を張って喧嘩をしてしまう。

クライマックスの豊島屋油店の段でも、二人の親心に感じ入り、涙を流したお吉だが、訪ねてきた与兵衛に対し、両親の真心である800文とチマキを渡すが、それで承知をする与兵衛ではない。新銀200匁を貸してほしいという申し出に「夫の留守中だから勝手なことはできない」と拒否する。至極真っ当な対応だ。

与兵衛がそれなら油を貸してほしいと頼むと、油を汲もうと背を向けたお吉に脇差を抜いて襲いかかる与兵衛。油と血にまみれた地獄のような床で、激しく争った末に、与兵衛はお吉に止めを刺す。3人の小さな子どもを置いて死にたくない…、さぞお吉は無念だったろう。死んでいくお吉の胸中を思うと、心が張り裂けそうになった。