一龍斎貞寿独演会~「錦の舞衣」通し公演~
一龍斎貞寿独演会~「錦の舞衣」通し公演~に行きました。およそ5年前に柳家喬太郎師匠から、「この話やってみない?」とおしゃっていただいた、そうだ。あまりに難しい話なので、すぐに手を出すことができず、「まず、世話物をしっかり勉強してからにしよう」と、お富与三郎全26話を2年かけて読み切り、去年から「錦の舞衣」に着手したという。
三遊亭圓朝師御作が講談に移植されているのは、「牡丹燈籠」「真景累ヶ淵」「乳房榎」など多数あるが、この「錦の舞衣」を講談で読んだ方は他にいるのだろうか。今回、通しで、しかも音曲入りの高座を聴いて、この作品の素晴らしさが講談になることによってさらに深まった気がした。喬太郎師匠の口演も素晴らしいが、須賀という女性の踊りの名手が主人公なので、女流の貞寿先生が読むことで、また一味違う素晴らしさがあった。
絵師として名人の狩野鞠信と踊りの名人である板東須賀が、惚れ合うというのは、他の男女の恋愛とはわけが違う。姿形や人間性は勿論だが、お互いの芸に惚れるというのが素敵じゃないか。鞠信が好いているという話を仲介役の吾妻屋金八が須賀のところに持って行ったとき、鞠信の描いた静御前の左の手の返しが違うと指摘し、それを鞠信は素直に受け入れた。そして、6年間の上方修行の後、こんな素晴らしい静御前が描けるなら、一緒になりましょうと須賀が承諾するのが、いかにも名人気質同士である。その上、夫婦になっても、芸が荒れるといけないと、別居するというのはすごい。
大塩平八郎の乱の残党で、鞠信が上方修行時代にお世話になった宮脇数馬を匿った一件にも、鞠信と須賀の心のやりとりの美しさがある。数馬の妹で深川芸者の小菊の扇子に鞠信が菊の花を描いてやり、名前を記したことに対する須賀の悋気。さらに捕まらないように数馬に小菊の着物で女装させ、鞠信の住む根津の家に行かせたことが須賀の誤解を生んだ。このあたりは名人とはいえ、一人の女である須賀の心持ちが顕われていて引き込まれる。
須賀が女であること、と同時に鞠信をこよなく愛していることが不幸を呼んだ。謀反人の一味を匿った罪で鞠信は牢に入れられ、厳しい詮議にかけられる。そこから救ってあげたいと願う須賀は、与力の金谷東太郎に翻弄される。好きでもない相手に対し、最愛の夫のために操を捨てる選択を迫られたときの須賀の決断の苦渋はいかばかりか。
須賀に岡惚れしている金谷はこの脇差は正宗で、代々の家宝だと言い、須賀にその“武士の魂”を預けるのだと騙す。操を捨てて、操を立てる。これで夫の鞠信が助かるならと覚悟して、金谷に抱かれた。だが…鞠信は獄中で死ぬ。そして、預かった脇差は偽物で、ガラクタ同然だと目利きの奈良屋助七から知らされたときの、須賀の悔しさといったらないだろう。
金谷に復讐する。そういう思いで、一世一代の静御前の舞いを須賀は恩人たちの前で披露したのだろう。自らの死をも覚悟した舞いは、まるで鞠信の絵から抜け出したかのようだったという。偽物の正宗を金谷の前で真っ二つにして、その折れた刀で金谷を刺し殺した。
金谷の首を鞠信の墓に供え、自らも腹を切り、喉元を突き、須賀は自害した。あの世で、鞠信の前で一世一代と絶賛された舞いを再び須賀は披露しているだろうと思う。芸人として、女性として、見事な仇討ではないだろうか。