百栄独演、そして一之輔・宮治ふたり会

ぶら~り寄席「春風亭百栄独演会」に行きました。ミュージックテイトの演芸専門店舗が立ち退きを余儀なくされて、系列の自主盤倶楽部でぶら~り寄席を再開したのは去年の秋のことだった。その間、クラウドファンディングもあり、この西新宿の小さな手作りの落語会を継続することができたのは、演芸ファンにとって喜ばしいことだ。その自主盤倶楽部に、僕はきょう初めて行って、店主の菅野さんに「お久しぶりです」を言えたこともまた嬉しかった。

百栄師匠、中入り前は「桃太郎」~「桃太郎後日譚」。御伽話の桃太郎は「めでたし、めでたし」で終わるけれど、本当は違うんじゃないか?という師匠の視点がユニークで愉しい。鶏も食べないような美味くもないキビの団子を1個貰ったばっかりに、俺たちは桃太郎の坊ちゃんからこき使われたと管を巻くイヌ、サル、キジ。鬼退治を終えて爺さん婆さんの元に桃太郎が戻ってから10日余り、酒を飲ませろ、ご馳走を食べさせろと要求する元家来の三匹が強気に出るところ、それが理屈に適っているから面白い。

逆に桃太郎が反論できなくて、納屋に引きこもっちゃうのも判る。鬼ヶ島からの帰り途、沢山の金銀財宝を荷車に乗せて引っ張ってきたが、その重い荷物を運んできた三匹とは対照的に、その荷車の上に大胡坐をかいて威張っていたのは、どこの誰ですか?勘弁してくれと謝っている鬼に対し、その女房子の前でズタズタに鬼を斬り殺した残酷な野郎は誰ですか?素敵な御伽話になるようにダークな部分は全面カットして、桃太郎が子どもたちのヒーローになっているとしたら…童話の闇に迫る快心作だ。

中入り後は「女子アナインタビュー」~「船越くん」。2時間サスペンスの大好きな船越くんと片平さんの“火サスごっこ”が実に可笑しい。断崖絶壁に呼び出されたタカシとヨシエは、お互いに話し合って合意の下で平穏に別れたはずなのに、船越・片平コンビに蒸し返されてしまう。「もう、ほっといてくれよ」なのに、あることないこと(いや、ないことばかりなのに)焚き付けられて、タカシもヨシエも疑心暗鬼になってしまうのが愉しい。

火のない所に煙は立たぬだが、火のないところに煙を立たせてしまう、船越・片平コンビの滅茶苦茶な論理展開で、タカシもヨシエも翻弄されてしまう。ヨシエさんがナカムラ部長と円山町のホテルに消えなかったという証拠もないのよ、それはまるでヨシエさんがナカムラ部長と円山町のホテルに消えたことを証明するかのように。無茶苦茶や!船越・片平コンビのペースに乗っかりかけて、「いや、いけない!」と我に返る。また乗っかりかけて、我に返る、タカシとヨシエはそれを繰り返す、百栄師匠のロジックの面白さに聴き手も翻弄されるのだ。

帰宅して、配信で「一宮入魂 春風亭一之輔・桂宮治ふたり会」を観ました。一之輔師匠が二ツ目時代に、横浜にぎわい座の勉強会などで積極的に前座の宮治さんを使っていたのは僕もよく覚えていて、落語協会と落語芸術協会の枠組みを超えて、お気に入りなんだなあとは思っていたが、きょうのオープニングトークで二人が仲良しなのがよくわかった。宮治さんが真打に昇進してからも、その関係が続いているのが素晴らしい。お互いに抜擢真打ということもあり、個人的な悩みの相談などもしているのかもしれない。そんな大袈裟なもんじゃないよ、と一笑に伏されるだろうけど。気心が知れている者同士のふたり会は愉しい。

一之輔師匠は「反対俥」と「団子屋政談」。老人俥夫の爆笑ヒューマンドキュメンタリーになって、益々進化を遂げる「反対俥」は毎回観る度に面白いが、「初天神」に続編が創作された「団子屋政談」を観て、一之輔師匠の創作の才に改めて感心した。

「初天神」は二ツ目時代から独自のカラーに染め上げて、得意ネタにしている一つだが、その続きとして、蜜の壺で二度漬け、三度漬けに団子屋がキレて、大岡越前守に訴える!と言い出したのがきっかけでお裁きになるという奇想天外なストーリー展開が実に愉しい。

お裁きは「二度と蜜の二度漬けはするなよ」と簡単に終わってしまうが、大岡様が天神様にお参りに行ったことがないから、金坊と一緒にお参りに行こうと提案する。約束の場所で待ち合わせしていると、白馬に乗って、なぜか「暴れん坊将軍」のテーマで登場する大岡様に金坊は困惑。野次馬たちにジロジロ見られて、恥ずかしいこと、この上ない。さらに、大岡様は飴屋や団子屋を大金を払って店ごと買い占めてしまうから、金坊は面白くもなんともない。

「やっぱり、お父ちゃんと初天神に行くのがいいやあ」と泣き出す始末で、買い惜しみをする父親の有難さを金坊が自覚、大岡越前守のこれぞ名裁き!というハッピーエンドが優れている。

宮治師匠は「つる」と「紺屋高尾」。首長鳥がなぜ鶴になったのかは、国家機密だと言ってなかなか教えない隠居と八五郎のやりとりに重点が置かれた「つる」はとても新鮮だった。が、トリで演じた「紺屋高尾」は、爆笑王を自負し、ふざけてばかりと思われがちな宮治師匠が人情噺をビシッと聴かせる“男前”な一面があることを再認識させる高座だった。

久蔵の純情。これを直球勝負で投げ込んでくる宮治師匠が素晴らしい。花魁道中で見た高尾太夫の目を、「こんな綺麗な目をしている人に悪い人はいない」と心底惚れこみ、所帯を持つと言い張る久蔵に、初めは馬鹿なことを言うな、傾城傾国、大名道具だ、無理な話だと聞く耳も持たなかった親方夫婦も、食べ物が全く喉を通らなくなった様子を見て、これは何とかしなくてはと思う。

三年一所懸命に働いて15両貯めろ、そうしたら会わせてやると言ったものの、そのうちに忘れてしまうだろうと思っていたが、そうじゃなかった。久蔵は三年休まず、必死の思いで働いた。高尾に会いたい一心で。この一念はすごい。三年で18両2分貯まったのだ。これを純情と言わずして、何と言おう。

薮井竹庵が仲に入る。紺屋の職人とばれたら会えないからと、何を聞かれても「あい、あい」と返事をしろ、藍色に染まった手は見えないように袂にいれておけ。この教えを忠実に守る久蔵の純情。それが実を結んだのか、三年間恋い焦がれた高尾と会えた。

久蔵は正直だ。「今度はいつ来てくんなます」との高尾の問いに、「三年。15両貯まったら」と正直に答えてしまう。相手をしたのが紺屋の職人だと判ると、嘘をついたことを責める高尾に、久蔵は必死にここまでの経緯を抗弁する。それを聞いて胸を打たれた高尾は「本当ざますか」。これに、久蔵はそれまで袂に隠していた両手を差し出す。紺屋職人の真っ青な手だ。「主の正直に惚れんした」。久蔵の純情が全盛の花魁の心を動かした物語を宮治師匠はしっかりと聴かせてくれた。