神田伯山「天明白浪伝」連続読み(壱)

「神田伯山 新春連続読み 天明白浪伝」二日目に行きました。昨日が前夜祭でお楽しみ三席だったので、今日が事実上の初日。第一話から第四話までを読んだ。天明年間というのは、西暦で言うと1781~89年の8年間で、その時代に活躍した盗賊たちのエピソードをオムニバス形式でまとめたピカレスク・ロマンだ。

松鯉先生が師匠二代目山陽から譲り受けたとき、8話しかなかったので、2話足して10話の連続物にしたのだという。第一話の「徳次郎の生い立ち」は田辺一鶴の弟子だった田辺波浪から、第八話の「八百蔵吉五郎」は六代目一龍斎貞丈から仕入れたのだとか。

第一話「徳次郎の生い立ち」。剣術と易を学んでいた神道徳次郎が、盗人になろうとした動機が良い。天狗小僧霧太郎が市中引き回しにされているのを、沿道の庶民は手を合わせ涙を流して頭を下げていた。それは貧乏な庶民に金を恵んでいた義賊だったからと知り、徳次郎も「泥棒になろう」と決意した。

でも、どこから手を付けていいのか分からずに、自分の剣術と易の師匠の家から盗みをはじめるというのも面白い。「太く短く面白く」生きてやろうじゃないか、という徳次郎の考え方もまた共感できるところで、この天明白浪伝に共通する「泥棒を応援したくなる気持ち」を観客に持たせるというのも、この講談の魅力だろう。

第二話「稲葉小僧」。大名屋敷を狙って盗みを働いた稲葉小僧新助。逃げ切る寸前で侍に槍で右太腿を突かれたが、何とか捕まらずに遊郭へ逃げ込み、その後に助けを求めて訪ねたのが、神道徳次郎の家というのも巡り合わせの面白さだ。盗人同士の助け合いというのがあったのだろう。

後半、八王子へ逃げる稲葉小僧が、内藤新宿で見張りをしていた番人に呼び止められるも、その番人が間抜けで、指名手配がかかっている稲葉小僧の人相書とそっくりなのに、見逃してしまう滑稽なやりとりがあって面白い。シリアスとユーモアを繰り返すのが、こうした悪人を主人公にした講談の肝だろう。

第三話「金棒お鉄」。若鶴屋女将、実は凶状持ちの因業ババアの金棒お鉄の借金の取り立てと、5両を借りた男の住む長屋の住人たちや大家の反撃が面白い。極悪非道なお鉄のやり口に対抗して、知恵をめぐらせる大家とその作戦に沿って戦う長屋連中の攻防戦だ。

借りたのが5両だが、利子がついて15両を返せというお鉄に対し、濡れた畳と破れた障子を修理するのに20両かかるからと、5両を要求する大家の主張も負けていない。最後には、お鉄のやり口を奉行に訴えれば、島流しは間違いないと脅し、さすがの金棒お鉄もすごすごと逃げていくしかない。滑稽味満載の読み物だ。

第四話「むささびの三次」。稲葉小僧と兄弟分ということで登場した、むささびの三次だが、その名前がまずカッコイイではないか。これは二代目山陽が元は「いたちの三次」だったものを、こっちの方がカッコイイという理由で「むささびの三次」に変えたのだとか。二人が共謀して寺に忍び込み、住職を殺害して、80両を強奪し、山分けにするところはシリアスに描かれている。

後半は、三次の色っぽい話になる。おときという元女郎の女が傍にいるが、実は人妻!鍛冶屋の六蔵という純朴な男の女房だ。湯屋でおときが間男しているという噂を聞いて、真偽のほどを確かめに来た六蔵は現場を目撃し、包丁で襲いかかるが、逆に殺されてしまう。おときも巻き添えになって死んでしまう。むささびの三次は逃げるしかない。さぁ、どこへ?というところで明日の第五話へ続く。

天明の大飢饉により、各地で治安が悪化し、世情が不安定だった時代。そういう時代だからこそ、泥棒が大活躍する物語が生まれたのだろう。こういう言い方は不遜かもしれないが、この物語にワクワク、ドキドキしてしまうのは現代がギスギスした時代だからだろうか。