【アナザーストーリーズ】戦後最大のヒーロー・力道山 知られざる真実(5)

NHK総合の録画で「アナザーストーリーズ 戦後最大のヒーロー・力道山 知られざる真実」を観ました。

きのうのつづき

木村の挑戦を退け、日本一となった力道山はその後世界チャンピオンとなり、国民的な人気を不動のものとした。しかし、胸の内では秘めていた祖国への思いが渦巻いていた。

番組の第三の視点は「力道山が同胞に語ったもうひとつの祖国」だ。

力道山は日本だけでなく、韓国や北朝鮮でも英雄だった。1963年、韓国ソウルの金浦空港に降り立つ力道山の姿。秘密裏に韓国を訪れ、熱狂的に迎え入れられた。ところが力道山は朝鮮半島との関係を自らは公言しなかった。

力道山と親しく付き合った元プロ野球選手の張本勲。在日韓国人2世だ。当時、力道山から胸の内を聞いていた。入団2年目の年、銀座の焼肉店で力道山を紹介された。

同じ祖国の力道山を知らないわけがないですよね。世界のプロレスラーですから。今、来ると。30分後に力道山さんが来られて、紹介された。「お前か、張本は」とおっしゃった。私は直立不動で、テレビでしか見たことのない人だから、ビックリしました。私が十九のときでした。それからのお付き合いです。

力道山が出ている本が北朝鮮で数多く出版されていた。そこではプロレスリング世界チャンピオンとなった祖国の英雄として描かれている。

そして韓国でも。

力道山は私たちの国の有名な選手ですよ。力道山が出ると聞いたら歓喜して必ず見ていました。

韓国人としてそういう人がいたということは、大きな誇りですよ。

しかし、日本では。力道山の半生を描いた映画「力道山物語 怒涛の男」。その始まりは長崎県大村での少年時代だ。その後、相撲部屋に入門し、力士となるのだが、戦前の新弟子名簿を見ると、力道山の出身は朝鮮とあり、本名・金信済と記されていた。

力道山ことキム・シムラクは1924年、日本の統治下にあった朝鮮半島の北部の村で生まれた。朝鮮半島の格闘技シルムの選手として頭角を現し、日本人の百田巳之助にスカウトされる。

横綱になるんだ。1940年、大志を抱いて海を渡ったシムラクは百田光浩の名で二所ノ関部屋に入門した。入門から3年目の力道山の言葉が残っていた。

僕は半島の出身のようになっていますが、本当は親方(玉乃島)と同じ長崎県ですから、よろしく。

戦後、関脇となった力道山。番付の出身地は長崎に変わっていた。

次は大関へ。そう期待されていた1950年、力道山は突然包丁で髷を切り、廃業してしまう。

張本勲が言う。

よく聞きました。「自分でなぜ髷を切ったんですか?」と。親方と喧嘩したそうですよ。結婚するから金を貸してくださいと言うと、親方が渋い顔をしたそうです。「将来、横綱大関になりますから」と言うと、「朝鮮籍の力士は大関、横綱にはなれないんだ」。こう言われて、あの気性ですよ。すぐ台所へ行って、ちょんまげをぶち切ったそうですよ。そのときのリキさんの顔、本当に悲しそうな顔をしていましたよ。

つづく