黒澤明vs.勝新太郎 「影武者」主役降板劇の裏には二人の天才のせめぎ合いがあった(5)

NHK総合の録画で「アナザーストーリーズ 天才激突!黒澤明vs.勝新太郎」を観ました。

きのうのつづき

自由奔放な壊し屋の勝新太郎と、何一つゆるがせにしない黒澤明。二人の個性は正反対だった。それでも、勝は黒澤のイメージを実現するために、信玄と影武者になり切ろうとした。

しかし、撮影前のリハーサルで、最初のセリフから脚本通りに言わなかった。そして、リハーサルの翌朝、決定的な事件が起きた。勝が自分の演技を確認するためにビデオカメラを持ち込みたいと言い出したのだ。

この日、弟子の谷崎は別用があり、兄弟子が現場に入っていた。谷崎が語る。

(兄弟子の)宮下がその後語っていたのは、師匠は「俺が勉強する」「俺のリハーサルしているところを自分で撮って、夜帰って自分で独りでこれを見て、そうか、黒澤さん、こう言っているのか、といろんなことを勉強したいんだ。そのためのビデオだからいいじゃないか」と。

朝7時。野上照代は勝がいるメイク室に向かった。そこでメイク担当から不穏な話を聞く。

勝さんが「きょうはビデオを回す」って言っているけど、そりゃあ無理だよなと。今、止めてんだという話をガラス越しにおやじ(メイク担当)が私に言うから、「それは無理だよ」と言ったんだ。そうしたら、勝さんが「いや、大丈夫だ。自分はいつもやっているんだから」と自信満々。自分で話しに行くって出て行った。私も追いかけて、第8(スタジオ)まで結構ありましたけど、追っかけて行ったら、黒澤さんは陣床几に座っていて、そこにひざまずく感じで、横から一生懸命説明しているの。黒澤さんはじーっと勝さんを見ていた。突然判ったんでしょ、「断る」って大きな声出しちゃって、勝さんも怒って席を蹴るように出て行ったら、黒澤さんが「見て来いよ」って私に言うから、後を追っかけた。

勝がその怒りのままに飛び込んだメイク室に出演者の根津甚八が居合わせた。油井昌由樹はその場の様子をつぶさに聞いた。

メイク室にいたところに、勝さんが帰って来られたのかな。おしっこかな、ぐらいに思っていたらしいんだよ。そうしたら、カツラをバーンと叩きつけるようにしたっていうから、これはきょうは(撮影は)ないなってことだよね、当然。これは大事件が起きたなと。

勝は自分の車の中に立て籠もった。野上がそのことを黒澤に知らせると。

「よし、行く」「あのバカ者が」みたいな感じよ。

その間にプロデューサーの田中友幸が勝の元へ駆けつけた。もう一度、現場に戻るよう説得を試みたが、車のドアさえ開けてもらえなかった。そこへ黒澤がやって来る。

黒澤さんだから運転手もドアを開けて、勝さんの方は「おれは大体こういう性格だから、そんなものはできない」。(黒澤さんは)「ああ、それじゃあ、辞めてもらうしかないな」。おしまいまで言うか言わないかで、もう勝さんは立ち上がって、殴ろうとしたのかなと思うけど、田中さんがそれを抑えて。「勝さん、それはいけない。それはいけない」。

助監督の大河原孝夫らは事件直後、スタッフルームに集められた。

すぐに黒澤さんがおっしゃったのは、「勝は降ろす」と。野上さんもそこで腹をくくったんでしょうね。「このことは口外しないでくれ」「喋ったら殺します」という半分冗談混じりなんでしょうけれども。ただ、映画を完成させるという意味ではね、黒澤さんとしては考えた上での決断であったのかなと。

記者会見で、黒澤はこう言った。

「ビデオ撮る」って言うから、「その必要はないでしょう」って、僕は言っただけでね。簡単に言うとさ。勝さんがビデオ見てね、自分勝手にいろんなこと考えてね、直されても困るんでね。第一、監督が二人いたら出来ないもんね。

一方、別の場所で勝はこう言っている。

俺が降りた。俺の方から降りた。(残念じゃないですか?)俺、残念でもないの。もう、この記者会見しちゃったからね。残念でもない。俺もこれでいいんじゃないの。

こうして、黒澤と勝。二人の天才は呆気なく、袂を分かった。

つづく