「人生はうまくいかない。だから面白い」…スヌーピーが教えてくれたもの(3)
NHK総合の録画で「アナザーストーリーズ スヌーピー最後のメッセージ~連載50年 作者の秘めた思い」を観ました。
きのうのつづき
実はこの漫画、登場人物が全員、人生はうまくいかないと嘆いている。その最たる例が登場人物たちの恋模様。ルーシーがシュローダーに、チャーリー・ブラウンの妹のサリーはライナスに。しかし、この片思い、誰一人としてうまくいかないのだ。この漫画を思いついたのは何と6歳のときだったというシュルツ。
私の作品は子どもが大人っぽいことを言っているのではない。注意深く観察すれば、子どもの言っていることの本質は大人と同じだと分かるはずだ。
一体、どうやってシュルツはこんな世界を思いついたのか?その秘密を知るのは、ディーン・ジェイムス。シュルツとは彼が亡くなるまで30年以上の家族ぐるみの付き合いだった。だが、初めて会ったとき、彼はシュルツの漫画を読んだことがなかったという。
私が通っていたゴルフクラブにシュルツがやって来たんだよ。一緒に回ることになってね。当時、私は彼の名前は知っていたけど、彼の漫画は読んでいなかった。でも、「君の漫画は素晴らしいね」と言ったら、彼はただ笑っていたよ。多分、読んでいなかったことはバレバレだったんだろうね。
番組の第二の視点は、親友が見たシュルツの意外な素顔から、「うまくいかない」ストーリーの秘密を探った。
テニスにゴルフ、アイスホッケー。スヌーピー同様、スポーツが大好きだったシュルツ。さぞや爽やかにプレイしていたかと思いきや、友人たちは断言する。「あんな負けず嫌いはいなかったよ」。
負けて笑い飛ばしたりはできないタイプだった。だから、私がその場を和ませなければいけなかったんだ。ゴルフでショットを外したら、「また、これか。私の一日が台無しだ。俺は何をやっているんだ」と、まあこんな感じだよ。
アイスホッケーはさらにすさまじかった。何しろ、いつでもプレイできるように自前のアリーナとチームまで作った入れ込みよう。このアリーナの管理人を任されたジム・ドウが言う。
シュルツがどんな選手だったかって?この激しい音が聞こえるだろう。シュルツはこれに負けないくらい激しかったよ。彼は夕方4時にやってきて、最初は友人と穏やかにコーヒーを飲んでいるんだけど、いざリンクに上がると、闘争心むき出しさ。兎に角、彼は負けず嫌いなんだ。負けたときにはサインなんか貰いに行っちゃダメだ。とても機嫌が悪いからね。だから、私はルールを作ったんだ。彼が負けたときは30分は近寄らないってね。
そんな根っからの負けず嫌いが、なんだって負けてばかりの物語を描いたんだろうか。シュルツはミネソタ州ミネアポリスの生まれ。アメリカの冷蔵庫と言われる寒い町だ。父は床屋で、一緒に新聞の漫画を読むのが楽しみだったという。幼いときから成績が良かったシュルツ。だが、その頃の挫折を親友に打ち明けていた。
彼は小学校時代に飛び級したから、皆より小さくて苛められるようになったそうだ。その経験からチャーリー・ブラウンが生まれたんだと思うよ。
成績が良かったため、小学校を2年も飛び級。だが、クラスになじめず、いじめられた。次第に成績も下がり、ついには落第した。高校卒業後は軍隊へ。送られたヨーロッパ戦線で毎晩孤独について、嫌というほど考えたという。
だが、人生最大の挫折を味わったのは軍隊から戻り、漫画家になった直後だった。シュルツ、27歳のとき。アートスクールに通いながら働いていた彼に初めて連載を持つ話が舞い込む。ついに夢がかなった。
そのとき、シュルツは勇気を振り絞って決断した。プロポーズだ。会社の同僚、ドナ・ジョンソン。赤毛の美しい女性だった。しかし、断られた。心変わりしてくれないかと、もう一度電話するも、答えはノー。「ピーナッツ」の連載はまさに人生のどん底からはじまったのだ。
これは初期の作品。「わかってる?チャーリー・ブラウン。あなたさえいなくなってくれれば、私はすごく幸せになれるのよ」「誰かの人生に幸せをもたらすことができるなんて悪くないな」。
つづく