「ノルウェイの森」~“世界のハルキ“”はこうして生まれた~(3)
BSプレミアムの録画で「アナザーストーリーズ 『ノルウェイの森』~“世界のハルキ”はこうして生まれた~」を観ました。
きのうのつづき
通信社編集委員の小山鉄郎。40年近く、村上の取材を続けてきた。マスコミ取材に積極的ではない村上がインタビューに応じる数少ない記者の一人だ。
生と死の一文は「ノルウェイの森」の中で、唯一異なる書体で記され、小山も強い印象を受けたという。
このまさにゴシック体で書かれたところが、生の世界と死の世界が分離されているんじゃなくて非常に近いというのが、村上さんの小説世界なんですね。
作品の舞台となった時代は、有名無名を問わず、多くの若者が亡くなった。主人公の周りにも死が溢れていた。
それは今にして思えばたしかに奇妙な日々だった。生のまっただ中で何もかもが死を中心に回転していたのだ。(「ノルウェイの森」より)
小山は言う。
「20歳の頃は人はよく死ぬもので」ということを言っていて、「最近でも知り合いが何人か亡くなった」という話をしていて、「死者に対するオマージュ、捧げるものという一面もある」と言っていますね。
斎藤陽子も言う。
個人的な問題もあったでしょうし、あと早稲田は春樹さんが行っている頃に大学紛争があったりして、相当ひどい状態だったので、余計にそういうことに敏感になっていたのかもしれないですね。
様々な意味で特別な作品だった「ノルウェイの森」。村上は本の装丁も自らデザインを考え、ラフスケッチまで描いた。そんな村上のアイデアを形にしたのが、装丁家の山崎登だ。
ブルブルの文字、彼から震えたような文字の依頼があったんです。
よく見ると、手書きの文字は微妙に震えているようになっている。確かに見えて、どこか儚げだ。そして、上巻の鮮やかな赤、下巻の深い緑も村上が選んだ。
小山鉄郎はここにも、生と死というこの本のテーマが反映されていると考えている。
赤のところにタイトルと著者名だけが反対の緑の色になっていて、下巻は緑の表紙の中にタイトルと著者名が赤であるという形になっています。この赤が生命力、生きる力、生だとすると、深い緑は直子が死んでしまう森の色なので死の象徴で、死は生の対極じゃなくて生の一部として存在しているという装丁になっているんですね。
そして、1987年9月14日。「ノルウェイの森」は発売された。書店に並ぶと予想を遥かに超える売れ行きをみせた。元宣伝担当の山田昌輝のメモには、「9月14日。『ノルウェイの森』、好評のようだ。バケモノか?」と書いてある。
山田が振り返る。
発売して1日2日で圧倒的な反応で、3日目ぐらいで重版検討。私が思った以上にすごい作品なんだなと。
「ノルウェイの森」は村上作品を読んだことのない読者も手に取るようになり、売れ続けた。1年で200万部を突破。街は本を持ち歩く若者で溢れた。それは作家自身も戸惑うほどの反響だった。
小山が言う。
「居心地が悪い」と言っていました。「すごい大きな家に一人で住んでいる感じがして居心地が悪い」と。
斎藤の元に届く読者からの手紙には共感の声が溢れていた。「言葉の一つ一つに身に覚えがある」「みんなそれぞれの価値観で精一杯生きている」。
死や喪失感が色濃い小説だが、作品の魅力はそれだけではないと小山は語る。
そんなに難しく読む必要はなくて、人間が成長していくということはどういうことなのかということを書いていると思う。成長するには傷つくわけですね。いろんなものと出会ったり、別れたり。「舞台は60年代だけど、書いた当時(80年代)の20歳前後の人が読んでくれると嬉しい」と言っていましたから。新しい生き方の模索というのは村上さんの中にあったんじゃないか。
斎藤には忘れられない思い出がある。中学生の息子には、自分が村上の担当だと伝えていなかったが、あるとき、息子が珍しく本を読んでいた。
本が置いてあったので、気になって、漫画以外読まない子だったので、それをめくったら、「風の歌を聴け」の文庫だったんです。「お母さん、村上春樹さんって知ってる?すごいよ、天才だよ」って言うんです。
村上作品はほとんど読んだという息子。「ノルウェイの森」は世代を超えて、読み継がれる作品になっていた。