「ノルウェイの森」~“世界のハルキ”はこうして生まれた~(4)
BSプレミアムの録画で「アナザーストーリーズ 『ノルウェイの森』~“世界のハルキ”はこうして生まれた~」を観ました。
きのうのつづき
「ノルウェイの森」の主人公は1968年、東京の大学に入学。当時は学生運動の真っ只中。小説にもそんな時代背景が描かれている。キャンパスはまさにカオスだった。講義中にヘルメットをかぶった学生が乱入。ビラを配り、無理やり討論会を始める。こんなことは日常茶飯事。でも、主人公は学生運動やこの時代の風潮に、いつもどこか距離を置いている。
この連中の真の敵は国家権力ではなく、想像力の欠如だろうと僕は思った。「出ましょうよ」と緑は言った。僕は肯いて立ち上がり、二人で教室を出た。「ねえ、私たち反革命なのかしら?」(「ノルウェイの森」より)
これは学生時代の村上に重なるのかもしれない。
番組の第二の視点は、「1968年の学生たち」だ。同じ大学で同じ時間を過ごした3人の若者たちが、1960年代の末、混沌とした時代の中で何を見て、何を感じたのか。「ノルウェイの森」の時代とは何だったのか?
村上春樹が早稲田大学第一文学部に入学したのは、1968年。「ノルウェイの森」の主人公と同じ年だ。作家の芦原すなおは、1年生と2年生のときに村上のクラスメイトだった。今回、40年ぶりに母校を訪れた。
タテカンがこれぐらいしかない。昔はキャンパス中にあった。休み時間になるのを待ち切れない感じで、拡声器でアジ演説というのをやって、最初来たときはビックリしましたね。郷里ではとんとお目にかからない光景でした。
大学時代の村上は友人も少なく、誰とでも打ち解ける感じではなかったと芦原は言う。ふとしたことから互いに音楽好きなことがわかり、時々話すようになった。当時、若者たちの間ではロックやジャズが人気。芦原はロックに夢中だった。
ローリングストーンズとビートルズ、どっちが好き?と訊いたらね。ちょっと考えてね、「ストーンズのほうがましだな」と答えてね。生意気だなと思ったけど、それが村上なんですよ。村上君は決して人におもねらない。お世辞みたいなことは言わない。自分の思ったことしか喋らないと決めていたように見える人でした。僕から見ると大人っぽいという感じがしました。
大学から歩いて10分ほど、主人公が暮らす学生寮のモデルになった和敬塾がある。現在も学生寮として300人ほどの男子学生が生活している。神戸から上京した村上も、ここで半年ほど暮らした。
この寮で偶然、高校の同級生と再会する。倉垣光孝。村上とよくビリヤードで遊んだ仲で、一浪して早稲田に入学していた。村上はよく倉垣の部屋に遊びに来ていたという。流行りの映画や音楽の話をして、語りあかした。
夜中に寮の部屋をこっそり抜け出し、二人で新宿のジャズライブを聴きに行ったこともある。
ピットインというライブハウスがあるから行こうと村上春樹が言ったんです。門限があったけど抜け出して、行ったらもう、すごいカッコイイ世界で。テレビなんかに出ているミュージシャンとは全然違う。ナベサダなんかタバコ吸いながら、ステージの床で消して。そこにコーヒー一杯で最後まで粘って。村上春樹が「東京に出てきて良かったな」って。
倉垣は大学の出版サークル「早稲田出版事業研究会」に入った。あるとき、雑誌のページが埋まらず、頼ったのが高校時代に新聞部にいた村上だった。
村上に映画評論を書けって言って。
村上のユニークな視点に期待し、この頃の映画について書いてもらった。
二日酔いで書いてきたから、怒ったよ。
この頃、早稲田では学生運動が激化。1969年の春には学費値上げ反対などを掲げ、ストライキがはじまった。しかし、この運動に参加する学生ばかりではなかったと芦原は言う。
脅迫的な空気というか、行動している人は自分を犠牲にして行動しているから偉い、何もしないノンポリっていうのは劣るんだみたいな雰囲気が漂っていた。僕も感じましたが、あえて行動はしなかった。村上は僕以上にノンポリだったというか、あの雰囲気が嫌だったかもしれません。
おいキズキ、ここはひどい世界だよ、と僕は思った。こういう奴らがきちんと大学の単位をとって、社会に出て、せっせと下劣な社会を作るんだ。(「ノルウェイの森」より)
つづく