一龍斎貞鏡「柳生二蓋笠」武士の親子の在り方は、時代を超えて現代にも学ぶべきものがある

上野広小路亭で「講談協会4月定席」を観ました。(2022・04・27)

一龍斎貞鏡さんで「柳生二蓋笠」を聴いた。

柳生但馬守宗矩と、その息子、のちの飛騨守宗冬。親子の在り方を考えさせてくれる良い読み物だった。

宗矩の三男、又十郎は放蕩三昧で、父の怒りを買い、勘当されてしまう。そこで、落ちぶれないのがいい。目が覚めて、出羽の山中で剣の修行を7年間おこなった。

そして、師匠の許しを得て、江戸へ戻る。が、いきなり勘当した父の許へは行けない。叔父の大久保彦左衛門を訪ね、7年間の修行の成果を見せる。これがすごい。

鳥籠の中の鳥を放ち、気合いを掛けて一声発すると、鳥は地面に落ちる。その鳥を鳥籠に戻し、再び一声を発すると、鳥は何事もなかったかのように、囀る。彦左衛門も唸った。「これならば、父上も許してくれるであろう」。

だが、顔一面髭だらけだから、誰も又十郎とは気づかないであろう。九州の山中から出てきた山男と偽って、彦左衛門と但馬守の道場を訪ねる。

但馬守は“その山男”との試合を引き受けるが、真槍を使うと言う。だが、又十郎は実の親に槍を向けることなどできない。

そこで、柳生の紋の付いた二蓋の笠を借り、一蓋の笠で槍を払い、もう一蓋の笠を但馬守の頭に載せたならば自分の勝ちとしてくれと頼む。

試合は見事、“山男”、すなわち又十郎が勝った。但馬守は「勘当を許す」と言う。はじめからこの山男が又十郎であることを承知していたのだ。又十郎は涙を流し、平伏した。

但馬守の考えはこうだ。

自分の槍で負けるような未熟な息子であれば、倒して、柳生の家も一代限りで取り潰してしまった方が良い。立派な腕前になって戻ってきたのだから、今日限りで自分は隠居し、家督を又十郎に譲ると。

又十郎は将軍家御指南役となり、柳生飛騨守宗冬を名乗った。

武士としての親子の在り方はこういうものか。これは、時代は違っても、現代に通じる何かがあるのではないか。そういう思いに駆られた。