澤孝子「徂徠豆腐」赤穂事件を絡ませた演出で、荻生徂徠の人物像がさらに浮き彫りに

木馬亭で「日本浪曲協会4月定席」を観ました。(2022・04・07)

澤孝子師匠で、「徂徠豆腐」を聴いた。講談でも落語でもおなじみの演目だが、これに赤穂事件を絡ませて、荻生徂徠の存在の意義を高めている演出に、思わず膝を打った。

まず、冒頭で元禄15年と示すところにメッセージを感じる。芝増上寺前の四代続く豆腐屋、上総屋七兵衛に荷売り商い。そこを呼び止める貧乏浪人。冷奴一丁を醤油もかけずに美味そうに食べ、「細かいものがない。まとめて払う」。一丁4文だから、5日目で20文。そこで、「細かいものがないのに、大きいものがあると思うか」と開き直る。

支払いは、「必ずする。この身が世に出たとき」に。上総屋は冷奴一丁が、一日の飯の代わりにしていたことに驚くと同時に、家財道具はないが、本に囲まれた暮らしを見て、この「学問屋さん」の言葉を気に入る。「本はこの身の魂。いくら浪人すればとて、武士と生まれてきたからは、魂だけは売りはせぬ」。

では、「世に出るまで、握り飯を届ける」という上総屋の進言に、「断る。商売ものは銭が払える。恵んでもらうのは、乞食と同じだ」と答える浪人。そこで、上総屋はこの浪人に毎日、おからを「餌」として届けることにする。

人の情けが身に沁みる。それが11月半ばから12月に入っても続いた。ところが、上総屋は風邪をひき、寝込んでしまった。ようやく回復して、床から起き出すことができたのが、12月14日。そう、ここできっちりと日付を言うところが心憎い。

そして、街が大騒ぎになっているという描写。松の廊下の殿中刃傷で切腹した浅野内匠頭の仇討を赤穂浪士四十七士がおこない、見事本懐を遂げたと。引き揚げて、泉岳寺に向かう様子を見ようと、黒山の人だかりだ。これぞ、武士のお手本、侍の鑑と称賛した。

で、上総屋の隣家から火事が出て、店は丸焼けになってしまった。幼なじみの源ちゃんのところに厄介になっていたら、そこに大工の吉兵衛という男がやってきて、「さるお方から頼まれた」と見舞金10両を渡され、「すぐに普請に入る」と言い残して去った。

元禄16年。四十七士は切腹の沙汰が下った。

ある日、“さる方”が上総屋を訪ねた。立派な武士。「その節は、親身なるお情けを、ありがとうございました・・・お忘れか?細かいものがないなら・・・」「あー!冷奴!生きていて良かった」。

その浪人だった男は、荻生徂徠。柳澤様に召し抱えられ、赤穂事件について意見した。「私の切腹という主張が通った。お暇を頂き、お礼に参った」。これを聞いた上総屋は「切腹させたのは、旦那?酷いことを。何で助けなかった?」。

これに徂徠は答える。「ご立腹はもっともながら、武士は君のために敵を討ったは良いが、徒党を組んで討つとは、罪は罪。本懐を末代までに残すには、涙を飲んで腹を切らせるのがよいと考えた」。なるほど。

徂徠は上総屋にさらに御礼の10両を「豆腐の代金」として渡し、「今の小金の山より、あの時の銭20文は、この身にとれば尊いもの。納めて下され。機嫌よく」。そして、普請した店は「おからの代金」という、心づくし。

情けは人の鑑とした「徂徠豆腐」、赤穂事件を絡ませて、荻生徂徠の思いと理屈が伝わる良い浪花節だと思った。