澤雪絵「女医吉岡彌生先生伝 さくらさくら」父親から教わった医者としての覚悟に胸が熱くなる

木馬亭で「日本浪曲協会4月定席」を観ました。(2022・04・07)

澤雪絵さんの「女医吉岡彌生先生伝 さくらさくら」がとても良かった。

東京女医学校、今の東京女子医科大学の創設者である吉岡彌生の生い立ちの物語だ。医師の鷲山養齋の娘として生まれた彌生は、その仕事の厳しさから医師になることを反対されるが、その意志は固く、それを貫き通す覚悟のようなものを感じた。

職業選択の自由が叫ばれはじめた明治の時代ではあるが、立派な父の姿を見て医師になると決意したが、「女にはつとまらない」と、その父親から反対される。医者のつらさ。「どうぞ助けてください」と言われても、「治る病気は良いが、助からぬ命と悟ったときのつらさ、切なさ、悲しさ」と言ったらないと言う。

もし彌生が男だったら…残念、無念と父は言うが、彌生の決意はそんなことでは揺るがない。女は我慢強い。誰よりも早く起きて、誰よりも遅く寝て、家事一切をとりおこなうのは女。お産のときもそうだ。紐でがんじがらめになっても、耐えて耐えて耐え抜いて、赤ん坊を産む。母の励ましもあった。「女がどれほど我慢強いか、見せてあげなさい」。

静岡の田舎から上京し、済生学舎に入学。日本で27人目の女医になった。静岡に戻り、父の手伝いをして、医者としての修行を積む。女性の患者は親切なお医者さんだと喜んで、彌生を名指しで診察してもらう人も増えた。評判上々。

ある日、急患が入った。難産である。お産婆さんが手を焼いた、逆子である。彌生は学んだ医術の全てを試して、尽くした。だが、赤子は儚く、虚しく時間は過ぎていく。息たえだえの母親を見て、彌生は思わずほろほろと涙をこぼした。

すると、見守っていた父親が叱る。「何をしておる!いついかなるときも、人事を尽くして天命を待て」。赤子は助からない。つぶさないと、母親の命が助からない。いたずらに嘆き、悲しむものではない。

父の処置を彌生は見学した。この世に生を受けて十月十日。胎内の赤子がむざむざと闇に消えていく。儚い命の終わる様、医者の私が見ている。目をそらすなよ。

翌朝。胎児を殺して、母親の命をようやく取り留めた。真っ赤に染まった朝焼けが、まるで血の涙を流しているようだ。父は言う。「医者は神様でもなければ、仏様でもない。何十遍、何百遍、この繰り返しだ。それが医者を選んだ定めだ」。

彌生は胸を締め付けられるような、つらい悲しさに襲われた。それを励ます父・養齋。彌生に固く芽ばえた決心が、やがて実って、後年、東京女医学校を設立することとなる。

女性浪曲師だからこそ、説得力のある浪花節になっている。師匠の孝子先生からもらった大切な演題だそうだ。とても良かった。