柳家喬太郎「やとわれ幽霊」昔を懐かしむのも良いけれど、前を向いて生きていくことが大切。
よみうり大手町ホールで「よみらくご 大人の落語~真打21年目の同窓会」を観ました。(2022・04・03)
本当だったら、去年の4月におこなわれるはずだった公演だが、コロナ禍で1年後の開催となった。だから、タイトルも本来「真打22年目の同窓会」である。
林家たい平師匠と柳家喬太郎師匠は2000年3月に抜擢で真打に昇進した。満22年が経った。この二人のよる二人会は真打になったばかりの頃はよく開催されていたが、今では顔を合わせることすら無くなったね、とオープニングトークで話していた。
喬太郎師匠が言った。志ん生師匠が亡くなったのが、1973年。私が入門したのは89年。16年後のことだった。でも、志ん生師匠は自分の中では歴史上の人物だった。でも、よく考えると、志ん朝師匠が亡くなったのが2001年。今、2022年。21年も経っている。今の前座さんは我々が志ん生師匠に感じていた以上に、志ん朝師匠が歴史上の人物なのだねえと。
二人の真打昇進披露興行に行ったのはよく覚えている。口上に、志ん朝、小さん、圓歌と並んでいた。お二人によれば、口上の司会を勤めるのは、理事でも比較的若い人間が担当するのだが、なんかの事情で、志ん朝師匠が司会したこともあったと。今や、私たち、落語協会の常任理事ですよ、と。
本当に時の経つのは早いものだ。
そして、この日、喬太郎師匠は「やとわれ幽霊」を掛けた。シアタートップスで開催された「SWAクリエイティブツアー」でネタおろしした作品だが、僕はこの公演のチケットが取れなくて、行けなかった。それから何度かこの噺は掛けたらしいのだが、巡り合わなかった。この日、初めて聴けた。嬉しかった。
「やとわれ幽霊」柳家喬太郎
喬太郎作品の中に、ノスタルジーとロマンが溢れる作品群がある。これも、その部類に入ると思うが、最後に胸がキュンとなった。
自分たちの母校の中学校が廃校となり、取り壊しも決まったと聞き、夜中に忍び込む50代後半の三人組。音楽室の滝廉太郎やモーツァルトの肖像画、理科室の人体模型…。初恋が実は〇〇先生だったという告白も。
そこに幽霊が現れる。長谷川先生と教頭が保健室で…、教育実習生のマナミと校長がSMプレイ…、体育の関先生が甘えん坊で…、一人何役も演じる。学校そのものの生霊ですかね。
ずっと生徒、教師、保護者、出入り業者、この学校に集まる人々を見守ってきた。そして、忘れ物はないか、火の元注意、と夜中に見回りをしていた。それが、「この学校には幽霊が出る」と噂された。
三人組は、この学校が取り壊しになるのを止めるために、この「学校の幽霊」に出てもらい、工事を止めてくれと頼む。が、その“幽霊”は言う。取り壊しは仕方ないんじゃないですか。思い出が残ればいい。思いを残した場所があればいい。それよりも、まだあなたたちは未来がある。前を向かって歩くことの方が肝要じゃないか。
そうなんだよなあ。昔を懐かしむのはいいけれど、それで終わってしまってはいけないのだね。後ろばかり振り返っていないで、前を向いて、明日のこと、未来のことを考えて生きていかなくてはいけないよなあ。それがロマンだ。
勇気が出る落語。ありがとうございます、喬太郎師匠!