玉川奈々福「カマ手本忠臣蔵」喬太郎作品を自分の視点から見つめ直し、見事な浪曲に昇華した!
紀尾井小ホールで「玉川奈々福 喬太郎アニさんをうならせたい うなうなスペシャル」を観ました。(2022・04・01)
この会のもう一つの目玉は、喬太郎作品を奈々福さんが浪曲化することだった。
奈々福さんが「喬太郎作品をどれか浪曲にしてもよろしいでしょうか」と嘆願し、喬太郎師匠は二つ返事で快諾。どの噺を選んでもOKという許可を得た。それはそれは、喬太郎ファンとして楽しみな高座となった。
でも、まさか、あの作品を浪曲化するとは!喬太郎師匠も「ハワイの雪とか、色々あるじゃんよ!何で?」と笑っていたが、出来上がりを聴いた感想は「こういうのを俺は聴きたかったんだよ!」と最上級の評価をされていたのが、とても印象に残った。
「カマ手本忠臣蔵」玉川奈々福
殿中刃傷の真相。それは吉良上野介と浅野内匠頭との間に特別な感情があったから・・・そうなのだ、相思相愛だった。喬太郎師匠は内匠頭が一方的に吉良様!と追いかけていた演出で創作されていたが、奈々福さんはこれを女性目線で、相思相愛にしたところ、とても良かった。喬太郎師匠も褒めていた。
「あの青年がこんなにも美しくなるとは」「あの抱かれた夜は忘れられない」。だけど、ここは千代田城。ましてや、勅使饗応役。そこは弁えなさい、と理性が働く吉良様に対し、感情が昂ってもはや状況判断ができなくなっている内匠頭。そこで起きてしまった悲劇…。
もう一つは討ち入りの真相だ。四十七士は、全員が内匠頭と関係を持っていたという解釈にしていたのが、大胆だった。だから、切腹させられた内匠頭の後を追いかけたいと四十七士は考え、後追い集団自殺を決行する。その現場に一番相応しいのは、吉良邸だと考えたわけだ。
それは、忠でもなければ、義でもない。そこに流れるのは、LOVE、愛なのである。それを許せなかったのは、吉良側の家来だ。武士は忠義によって動くもの。愛で自害させることなど許せない!そこで考えたのが、自分たちの主君、吉良上野介の首を撥ね、自分たちは赤穂藩の装束を着て、赤穂浪士に成りすまし、泉岳寺に向かうという行動だった。
戸惑う吉良様。だが、家来たちに殺されるのは無念だが、もうしょうがない。泉岳寺の内匠頭が埋葬された墓の前で、吉良の首が「浅野殿、また会えたのう」と再会を嬉しく思う場面がより際立った演出に舌を巻いた。
喬太郎師匠を敬愛して止まない奈々福さんの浪曲化に拍手喝采だった。