田辺いちか「玉川上水の由来」玉川兄弟の情熱とそれを意気に感じた按摩の胸熱くなる物語

らくごカフェで「田辺いちかの会」を観ました。(2022・03・12)

いちかさんの「玉川上水の由来」がとても良かった。

かつて江戸市中の飲料水を供給していた玉川上水は、玉川庄右衛門と玉川清右衛門の兄弟の情熱の賜物だったことがわかったと同時に、この兄弟の心意気に感服した按摩松の市の人情に胸が熱くなった。

羽村から四谷までの全長43キロ。街が繫栄し、人口が増大した江戸は神田上水だけでは賄いきれないほど水を必要とし、慢性的な水不足に悩んでいた。そこで幕府は玉川兄弟に多摩から水を引く工事を命じ、それを請け負った兄弟も頑張った。

だが、兄弟の評判が悪い。幕府の御下げ金を懐に入れ、人夫たちには給金を払わないという悪い噂である。

しかし、実のところは、工事が難航し、玉川兄弟は懐に入れるどころか、自分たちの田地田畑や家屋敷を売り払い、まさに私財を投げ打って工事にあたっていたのだ。

水道は何とか幡ヶ谷まで工事が進んでいた。ゴールの四谷までは目と鼻の先。あと、300両あれば完成するというのに、その工面ができない。事情を知らない人夫たちは給金を払わなければ、酷い目に合わせると鼻息が荒い。

たまたま庄右衛門が呼んだ按摩。名は松の市という。按摩は玉川上水への兄弟の熱い思いと悔しさを聞いていた。そしてまた、自分の身の上を話した。幼い頃に大火傷をして、失明した。30年間一生懸命働いて、300両貯めた。これで座頭になるという。

松の市が療治を終えて帰る。すると、翌朝に幡ヶ谷で人夫300人が気勢をあげた。松の市が玉川兄弟の上水への情熱を知り、一人の人夫に300両を渡したのだ!

300両が入った汚い金入れには、按摩の竹笛が添えてあったという。

工事は再開。四谷大木戸までの工事が完成した。玉川兄弟は旗本に出世し、水奉行になった。懸命に松の市の行方を探したが、見つけることはできなかった。もし見つければ、座頭どころか、検校に取り立てるつもりだったのに。

以降、300年にわたって江戸の街を潤した玉川上水の裏話に胸が熱くなった。