宝井琴調「中村仲蔵」「赤垣源蔵」読み手が違うと、また違う味わいの読み物になる

紀伊國屋ホールで「宝井琴調・柳家三三二人会」を観ました。(2022・03・14)

琴調先生が「中村仲蔵」と「赤垣源蔵 徳利の別れ」、忠臣蔵にまつわる読み物を読んだ。

「中村仲蔵」は戯作者である金井三笑の存在が面白いと思った。通常は仲蔵に五段目の斧定九郎という格下の役をやらせるように仕組んだのは、三笑の嫌がらせ、腹いせだという解釈で読む講談が多いけれど、そうではなかった。

初めは仲蔵とその女房も、きっと三笑が仕掛けたことに違いないと思う。いつも三笑の演技指導に反発しているからだ。そして、でも何とか工夫して、見返してやろうと決意する。琴調先生は言わなかったが。團十郎が何か工夫をすることを期待しているのではないか、という演出もある。

だが、最終的に仲蔵の工夫が観客や役者衆を唸らせ、認められたために、團十郎の元に呼び出される場面。團十郎のほかに、師匠の伝九郎と金井三笑も同席している。そこで、團十郎は仲蔵の工夫を褒め、「やはり、三笑さんが仲蔵ならやれると言った通りでしたな」と言う。

そうだ、金井三笑は仲蔵の工夫を以前から高く評価し、弁当幕の斧定九郎を何とか工夫できないか、それを仲蔵に託したという演出である。なるほど!と思った。二人の間に確執などはなかったという解釈もまた面白いと思った。

「赤垣源蔵」も琴調先生の型では初めて聴いたので、新鮮だった。すでに源蔵は兄の塩山家に訪ねていて、そこで待っているうちに寝入ってしまうという始まりだ。

それを女中のおたけが「風邪をひきますよ」と声を掛け、起こす。そして、源蔵は兄の羽織を持ってきて、自分の前に掛けてくれとおたけに頼む。で、一人酒盛りだ。思い入れたっぷりに、兄弟の思い出話を目の前の羽織に向かって話す。この情景が胸を打つ。

さらに興味深いのは、討ち入り本懐を遂げた後の、兄の塩山伊左衛門だ。老僕・市治に引き揚げを見に行かせ、弟の源蔵がいたことを確認し、形見に呼子の笛を吹かせる。それを肴に、源蔵が前日したように、一人酒盛りをする。丼酒を二つ用意し、兄弟の酌のやりとりをするように飲む。この場面がとても印象に残った。