【プロフェッショナル 数学教師・井本陽久】答えは、子どもの中に(3)

NHK総合の録画で「プロフェッショナル 仕事の流儀 数学教師・井本陽久」を観ました。(2020年1月7日放送)

きのうのつづき

放課後、井本は生徒たちと一緒に帰路についていた。帰宅するのかと思いきや、電車で一時間かけて到着したのは、都心にあるビル。

実は井本はこの春、27年勤めた学校を非常勤になり、授業数を減らす決断をした。その分、学校以外に教室を持ち、進学校ではない生徒たちのために週3回の授業をおこなっている。

生徒は主に中学生。5クラス、およそ60人。井本の授業を受けたいという子どもだけでなく、学校になじめないという子も通ってくる。

僕が考えて、ふっとなるのは、うまくやれていない子っているんですね。そのことがずっと気になっていて、たぶんそういう子たちって、僕から行かないと出会えないんですよね。

授業がはじまった。

仲間はずれを見つけてもらいます。ちゃんとその理由も考えてね。

「オ」じゃないかな。

そう、「オ」は展開図で折っても立方体にならないよね。ここで問題です。「オ」を使って、立方体を作ってください。

紙を折り、サイコロのような立方体を作るという問題。井本は普通にやっても解けないような問題を出した。

できました。6マスで。

紙を破って作るという少しズルいやり方だ。

ある意味、これも職人的成功。

だが、井本はこれを認める。

ズルなしでできた?

これはズルですか?

まあ、職人的。

学校では駄目とされるズルや脱線を喜ぶ。

面白いことするな。何本でもいいから、やってみてよ、それ。

それはすごいな。度肝を抜く脱線だな。

学校とか世間っていう評価軸とかを取っ払ちゃえば、魅力たくさんあるんですよね。特に自信のない子ほど周りの評価軸を気にするんじゃないですか。だから、子どもにとっての大人の意味って、何かやっていて、ふっと大人の顔を見せたときに微笑んでもらえることだと思います。子どもがふっと見たときに微笑み返せる、返すこと。あの瞬間ってめちゃめちゃ大きいですよ。

こうあるべきという社会が決めた評価や価値観。それにとらわれず、今、目の前にいる子だけ見つめると井本は決めている。

今のこの子がここにいるのにね。この子のままで駄目なはずがないって感じですかね。こういう力が必要だというところを目的に置いてするのが教育だとすれば、子どもが見えなくなるんです。見えているのは、こうなった方がいいっていうところだから。それを見て、この子を見てたら、それが足りているか、足りていないか、という視点でしか見られないんですよね。その子自身は見えない。

例えば未来の社会というのは、社会が先にあるんじゃなくて、彼らが暮らしている、彼ら自身が社会じゃないですか。社会がこうだから、彼らを・・・というのは、滅茶アベコベですよね。変ですよね。社会なんか見えなくていいと思います。社会は彼らが作るものであって、こちらが先に規定するものじゃない。

つづく