【プロフェッショナル 数学教師・井本陽久】答えは、子どもの中に(4)

NHK総合の録画で「プロフェッショナル 仕事の流儀 数学教師・井本陽久」を観ました。(2020年1月7日放送)

きのうのつづき

この日、井本が向かったのは児童養護施設。親と離れて暮らす子どもが、およそ40人共同生活を送っている。井本は22年前から月2回、ここに通い、夕食後に勉強を見てきた。

今は教え子の中高生が手伝ってくれるようになり、少し手持ち無沙汰になっている。その代わり、時間いっぱい、子どもたちに触れて回る。

井本が言う。

大人を独占するっていう経験がたぶん少ないじゃないですか。でもお互い大事にされて嬉しいって感じじゃないですか。僕も結局、そうなんで。

両親のことを覚えていないという子も少なくない。でも、子どもたちはどこ吹く風。世間のつまらぬ先入観など軽々と飛び越えていく。

井本はいつも、ありのままでいいと口にする。それは、後悔の中で子どもたちから教えてもらった信念だ。

これまで何人も若い頃から、何人もの生徒を傷つけているので、逆にその経験があって、今があるみたいな。昔を振り返るのは結構つらいんですよ。後悔とか、悪かったな、みたいなことばっかりなので。

井本の原点は体に障害のある兄の姿。生まれつき足が不自由で、歩くのが困難だった。周りからはいつも「大変だね」と声をかけられた。でも兄は明るかった。それは母・瑞子さんがいたから。周りの声は意に介さず、あるがまま、それでいいと認めてくれた。その中で、世間の価値観は絶対ではないという考えが育っていった。

兄貴はちょっと訓練で足をちょっと動かして1メートル歩いたとかってなったら、わっーて言われて、ペンとか貰えるんですよ。俺もあのペンが欲しいとか思って。それぐらい足が歩けないってことについては、何とも思っていなかったんですよね。でも、実際には世の中は世間では足が歩けないってことをすごい過敏に捉えるじゃないですか。世間ってそういうものなんだなっていうのはあったし、その頃から当たり前のように世間がこれがいいよって言っていることが、必ずしもそうであるわけじゃないっていうのは、ずっと思っていたかもしれないですね。

東京大学工学部を卒業すると、母校で数学教師の道へ。中学生の頃には将来は教師になると決めていた。やりたいことも決まっていた。正解を教えるのではなく、自分で考えさせる授業。1年目から教科書を使わず、オリジナルの問題を作った。こうあるべきという、決まった評価や価値観で生徒を測りたくなかった。

担任を持つようになると、その思いをより強くする現実に直面した。ある日、生徒の親から電話がかかってきた。息子が自殺を考えるほど追い詰められいぇいるという。井本は生徒に事情を訊いて、驚いた。その子は優しい優等生という周りの期待に応えることに疲れ果てていた。

たぶんその生徒は自分っていうものが、もう分かんなかったんですよ。他人他人他人に気を遣って、他人にいいって思われるように、他人が望む行動をして、勉強だけじゃなくて、いろんなところで評価されちゃうから、それにかなおう、かなおうって。

つづく