【壽 初春大歌舞伎】第3部「義経千本桜 川連法眼館の場」狐親子の情愛を巧みに演じる猿之助

歌舞伎座で「壽 初春大歌舞伎」第3部を観ました。(2022・01・12)

「義経千本桜 川連法眼館の場」、通称“四の切”である。市川猿之助宙乗り狐六法相勤め申し候、とあるように宙乗り以外にも、猿之助の身体能力を生かした動きに目が奪われる、観ているだけでとても興奮する芝居である。

多くの仕掛けを巧みに用い、スリルとサスペンスで盛り上げながら、狐の親子の情愛を情緒豊かに描き出す。どうしても見た目ばかりに気を取られがちであるが、「狐の親子の情愛」が肝心で、この表現が実に猿之助は達者で、感じ入るところが多かった。

狐忠信の“狐手”をはじめとする、狐を表現するための俊敏な動き、“狐詞(きつねことば)”という独特の言い回しを駆使した演技は、相当な技量と体力が求められるが、猿之助の演技にはそれ以上に“気持ち”が入っていたように感じる。

義経が静御前に同道した忠信の詮議を命じ、自分は先に来た忠信を詮議するために奥へ引っ込んでからのシーンが最大の見ものである。静御前が初音の鼓を打つと、忽然と姿を現すもう一人の忠信。その忠信に向かい、静御前は義経から預かった脇差を抜いて打ち掛かり、正体を明かすように迫る。ここからだ。

観念した様子の忠信は、桓武天皇の時代、雨乞いの儀式に使うために作られた初音の鼓に生き皮を用いられた夫婦の狐の子という素性を語り、狐の本性を顕す。

そして、初音の鼓が義経に与えられたのを機に、忠信に姿を変え、静御前を守護しながら、親にも等しい鼓に付き従っていた経緯を明かす。

そして、今日まで義経や静御前を欺いていたことを詫びながら、自らの身の上と親を慕う心情を察してほしいとかき口説く。

今、静御前が打った鼓の音色の内に、本物の忠信に迷惑がかかるので、古巣へ戻るようにと諭す親狐の声が聞こえたと言って姿を消すのだ。

健気な狐忠信よ。僕がそう感じるのであるから、陰で聞いていた義経も感じ入ったのであろう。静御前に鼓を打って源九郎狐を呼び戻すように命じる。しかし、親子の別れを悲しんでか、鼓は音を出さない。

その様子に義経は、源九郎という自らの名を与えた子狐の身の上と、肉親の情に恵まれずに育った自らの宿命を重ね、これも前世からの因縁だろうと嘆くのももっともだ。

再び源九郎狐が姿を現すと、義経は最高の贈り物をする。彼の孝心と静御前を守護した功績に報いるために、初音の鼓を与えるのだ。

喜ぶ源九郎狐。吉野の悪僧たちが義経を夜討ちにしようと企てていると告げ、通力で彼らを招き寄せ、散々に翻弄する。そして、義経と静御前に礼を述べ、初音の鼓を携えて、古巣へ飛び去って行く…。

人間と同様に情愛や恩義がわかる子狐の心情を、猿之助が鮮やかに描いていた。

佐藤四郎兵衛忠信/佐藤忠信実は源九郎狐:市川猿之助 静御前:中村雀右衛門 駿河次郎:市川猿弥 亀井六郎:市川弘太郎 源九郎判官義経:市川門之助 川連法眼:中村東蔵