桃月庵白酒「火焔太鼓」大いなる滑稽噺は可愛い夫婦の愛情物語が隠しテーマだ
よみうりホールで「よってたかって新春らくご 夜の部」を観ました。(2022・01・22)
桃月庵白酒師匠の「火焔太鼓」を久しぶりに聴いて、新たな発見をした。そんな大袈裟なことではないのだが、この噺は大いなる滑稽噺であるとともに、ほっこりする夫婦の愛情物語なのではないかと。
ご存知のように、「火焔太鼓」は古今亭志ん生師匠が誰も演じ手がなく、埋もれていた噺に独自のくすぐりをふんだんに盛り込んで、息を吹き返した噺である。それを息子の志ん朝師匠が引き継ぎ、その後は古今亭に限らず、様々な噺家が演じる人気演目となった。
白酒師匠も志ん生師匠に負けないくらいに独自のギャグを盛り込んで、自分のカラーに染めた傑作にしている。この日も、商売が下手な甚兵衛さんのエピソードとして、「秀吉が懐で温めていた草履」を市で買ってきたことを女房に指摘されて、「だって、温かったんだもん」と言わせたり。また、お屋敷に行って、汚い太鼓が300両もの値がついたのに仰天し、三太夫さんに「ゥルー、ルー、ルー」と叫んで、「キタキツネを呼ぶんじゃない」とたしなめられたり。
そういう意味では志ん生路線の踏襲をしっかりとしているわけだが、それだけではなく、道具屋夫婦の関係性を上手に描いているところに真骨頂を見た気がした。
甚兵衛さんはお人好しで、ちょっと抜けたところが確かにある。太鼓のようなお祭りや初午のときにしか売れない「きわもの」を周囲の道具屋仲間に「掘り出し物」とその気にさせられてきたことからもわかる。
一方の女房はしっかりものである。冷静な判断ができる。道具屋が成り立っているのも、この女房いればこそ、だと思う。殿様は太鼓の音だけ聞いて、欲しいと言ってきた、だからこんな汚い太鼓を見たら、怒りだしちゃうかもしれない、と言う。そして、「一分で仕入れてきたから、一分でいいです」と売り払えとアドバイスする。
そこに女房の優しさがある。甚兵衛さんが屋敷に太鼓を持って行く際にも、「俺はバカなんだ。バカが太鼓を背負って歩いているんだ。ごめんなさい、バカが通ります」と思って向かえと言うが、これはあくまで愛情の裏返しであって、女房はバカ正直でお人好しな甚兵衛さんが好きなのだ。威張っているようで、そっと陰から亭主をフォローしているのだ。
甚兵衛さんもそんな悪口を叩く女房のことが好きで堪らない。「俺や定吉よりも飯を食って、こんなにプクプクしちゃって、その丸ポチャが堪らない!」とつぶやきながら、屋敷に向かっている。女房の言うことは正しいし、言うことを聞いていれば間違いない、という信頼がそこにある。
これを愛し合っていると言わずして、何と言おうか。だから、300両が儲かって、50両ずつ切り餅を出されたときの対応も二人は同じ。似たもの夫婦なのだ。200両まで出したときに、女房が「お前さん、大好き」と叫んで、間違えて定吉に抱きついてしまうのも、その証拠だ。
夫婦の愛情をたっぷり沁み込ませた滑稽噺は、お涙頂戴の人情噺よりも、ときとして「落語」として優れているのではないだろうか。