【ミネオラ・ツインズ】保守とリベラル、正反対の双子を大原櫻子が一人二役で演じ切った
スパイラルホールで「ミネオラ・ツインズ」を観ました。(2022・01・11)
副題は「六場、四つの夢、(最低)六つのウィッグからなるコメディ」である。1996年にポーラ・ヴォーゲルが書いて初演された演劇だが、僕自身はこれをコメディとは思えなかった。痛烈な社会批評だ。今回の日本上演では、翻訳を徐賀世子が担当し、演出を藤田俊太郎が手掛けた。
まず、パンフレットに書いてある【STORY】から抜粋。
ニューヨーク郊外の小さな町ミネオラ。一卵性双生児のマーナとマイラは胸の大きさ以外は全く同じ容貌を持ちながら、性格は正反対の姉妹だ。物語のはじまりは1950年代、核戦争の恐怖が忍び寄るアイゼンハワー政権下。“良い子”の高校生マーナは誰もが羨む家庭を手に入れるため、ジムと婚約中の身。純潔を守るマーナを嘲笑うかのように、マイラは奔放な“発展的”交際を繰り広げる。マイラの目に余る素行を諭そうと、婚約者ジムがマイラの元に向かうのだが…。
時代は過ぎて、1969年。ベトナム戦争の泥沼にあえぐニクソン政権下。母になったマーナは14歳の息子ケニーと銀行に並んでいる。過激な反戦運動家として指名手配中の逃亡犯となったマイラを助けるために、逃走資金を息子に持たせようとしていたのだ。マーナの真意はどこにあるのか?
そしてその20年後、ジョージ・ブッシュ政権下の1989年。パートナーのサラと暮らすマイラの息子ベンが、伯母マーナを訪ねてやって来る。ラジオから響く「言い返せ、やり返せ、咬みつき返せ!!」という声の持ち主は?時代と価値観の変遷の中で、正反対の人生を歩んできた双子姉妹が見る夢とは――。
この演劇の最大の特徴であり、興味深いのは主演の大原櫻子が正反対の双子、マーナとマイラの二役を演じ分けるのだ。保守的で優等生で理想の結婚を目指すマーナ。リベラルで既存の価値観に反発するマイラ。25歳の大原が、10代、20代、50代に扮し、カツラや衣装をめまぐるしく替えて双子を演じるという物理的な難しさ以上に、「保守とリベラル」という米国の政治風土のメタファーとして役を演じることに感心した。
演出の藤田は「解放」を大原に求めたという。「よく見られようとする女の子と、何も恥じずにさらけ出す女の子。その両極端をやってほしいという意味なのだと思います」と読売新聞のインタビューに大原は答えている。
ベトナム戦争が泥沼化した69年にはマイラは反戦運動に参加するし、ベルリンの崩壊など価値観が変動した89年にはマーナが米国の在り方を憂える論客になっている。
そして、結末の演出が印象的だ。少女から中年にいたるまでの姉妹を見事に演じてきた大原を生身の本人として観客に対峙させ、劇中の分断と対立が日本の現実と無縁でないことを示すのだ。
また、共演の小泉今日子と八嶋智人とは意表をついた絡み方をする。小泉とは恋愛関係だ。小泉がマーナの婚約者とマイラの同性愛者を演じ、八嶋は姉妹それぞれの息子役だ。特に男装の小泉が演じる恋人と高校性のマーナが語り合う場面は、少女漫画から抜け出したよう。
最後に、パンフレットから演出の藤田俊太郎の言葉を引用して終わりたい。
劇中では何度も「怖い」という言葉が繰り返されます。50年代核兵器への恐怖から始まり、保守とリベラル、遍歴する激動の時代に向き合い、人生の半ばで二人の女性は敗北感に直面します。線を引いて分断し、「怖さ」を解消してきたマーナと、「怖さ」に立ち向かい融和を試みたマイラ。この「怖さ」は2022年の今、ウイルスや見えざる他者に姿を変えています。作者は、作品を通して鑑賞者に個人がどう生きるのか、を問い続けます。これはアメリカの話ではない、私たちの戦いなのだと感じています。