中村吉右衛門さんをしのんで
NHK総合で「中村吉右衛門さんをしのんで」を観ました。(2021・12・18放送)
歌舞伎俳優で人間国宝の二世中村吉右衛門さんが11月28日に77歳で亡くなった。巧みなセリフ回しと、溢れんばかりの色気。そして、人間の本質に迫る迫真の演技は観客の心を深く捉えた。歌舞伎だけでなく、テレビや映画でも活躍した吉右衛門さん。重厚な演技は特に時代劇で存在感を放った。
この追悼番組に出演した演劇評論家の渡辺保さんは、「当たり狂言は沢山ある。中でも、義太夫狂言、時代物を得意とした」として、吉右衛門さんの素晴らしさを4つ挙げていた。①セリフ回しの上手さ②スケールの大きさ③芸に艶がある④無言で心を観客に伝える「思い入れ」の技法に優れていた。
番組では、2003年11月の歌舞伎座、「盛綱陣屋」を流していた。佐々木盛綱が、甥の小四郎が父親の命令に従い、立派に腹を切ったのを褒める場面だ。高綱妻篝火が四世雀右衛門、盛綱母微妙が七世芝翫、盛綱妻早瀬が片岡秀太郎、小四郎が中村種之助。
中村歌六さんがインタビューに答えていた。
初共演したのは昭和30年の私の初舞台でした。初代吉右衛門の一周忌追善興行で、兄さんは当時、萬之助でした。半世紀以上、もう70年近い昔の話ですね。胸を借りてぶつかっていった。命を削って演技していたんだと思います。帰ってきてください。もっと一緒に芝居をさせてください。
涙を流して話す歌六さんに、こちらも胸が締め付けられた。
繰り返し演じ、練り上げた作品として、2002年5月の「俊寛」が流れた。家族となった仲間を助けるために自らを犠牲にして、絶海の孤島に独り残る男の物語。壮絶なラストシーンだった。
渡辺保さんによれば、初代吉右衛門の当たり芸だったが、それは「播磨屋!」とお客が熱狂し、陶酔させる芝居だった。だが、二代目は現代人のドラマに通じる古典に昇華したという。家族全員を幸せにしてやりたい。家長としての責任を取ろうとした姿に心打たれると。
現代に生きる古典として歌舞伎を再生する。この人がいたから、自分たちのドラマとして感じることができた。そういう仕事を積極的にして実をあげたのは、二代目の大きな功績だと高く評価していた。
渡辺保さんと一緒に出演した尾上菊之助さんは、「岳父は生前、心が生きていないと芸にならないと言っていました」として、型を超越してお客の心に飛び込んでいく、お客の心に残ることが役者の仕事だという吉右衛門さんの信念を語っていた。
テレビの時代劇として人気となった「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵の役を見て、人を受け入れる慈悲深さ、この鬼平にだったら斬られてもいい、というくらいの包容力があった、と。人間の深さみたいなものがよく出ている。
2歳違いの兄(現・白鷗)を持ち、自分は母方の祖父の養子になった。兄の染五郎(当時)がスターの道を駆け上がり、注目されるのを羨ましく思っていた。しかし、様々な葛藤を抱え、二代目吉右衛門としての道を歩み続けていった。若い頃のインタビューでは、「兄は才能があって光っている。自分には努力しかない」と答えている。
兄はミュージカルなども演じ、派手だったが、吉右衛門さんはそれに比べると地味に見えた。でも、比較されるコンプレックスをはねのけて、芸道に精進する原動力としたのは逆に幸せなことだったのかもしれないと、渡辺保さんは言っていた。吉右衛門を継承するという目標があったことが良かったと。
吉右衛門さんの四女、瓔子さんと菊之助さんが結婚して、播磨屋と音羽屋が親しい関係になったのは嬉しいことだった。孫の丑之助さんが2019年に「絵本牛若丸」で初舞台を踏んだのを、共演できたのも喜ばしいことだった。
菊之助さんが平知盛に挑戦するときには、岳父として懇切丁寧に指導してくれたという。特に、呂の声(低音)の出し方が難しく、そこを優しく教えてくれたそうだ。
甥の幸四郎さんも、吉右衛門さんから指導してもらうことも多かったという。
役を教えて頂くときは、役の心情や芝居の作り、幕が開いてから構築していって、最後のクライマックスでお客様の心を動かす。そういう教え方をしていただきました。
芝居には核となる場面やセリフがありますが、そこに持って行くためにはその役が登場してから構築していくものだというふうにおっしゃっていました。お客様に届けないといけませんので、それには発声であったり、形であったり、表現する方法として技の習得ということも併せて教えて頂きました。
吉右衛門さんは松貫四として、歌舞伎作者という顔も持っていた。新しい作品を生み出すことも重要なライフワークとしていたのだ。現代人に訴える歌舞伎とは何なのか。新作を通して、模索し続けた。
2005年の「日向嶋景清」が流れたが、古典の装いを大切にしながら新作を創り上げていく意気込みが伝わってきた。自ら筆を執り、演出をし、演じる。吉右衛門さんは普段の何十倍もの体力と精神力を使い、自らの作品を少しでも高みへと押し上げていった。
2020年8月の観世能楽堂が最後の挑戦、「須磨浦」。情を深く描き、命の尊さを感じてもらいたいとおっしゃっていたそうだ。主君・源義経の命に従い、我が子を身代わりに殺した武将、熊谷次郎直実。我が子を失った痛切な悲しみを、能楽堂という厳粛な空間で描く。特別な衣装や化粧もなし。全てをさらけ出した素の舞台姿で演じた。研ぎ澄まされ、削ぎ落された一つ一つの動き。中村吉右衛門の芸の集大成がそこにあったという。
ご冥福をお祈り申し上げます。