【プロフェッショナル 楽天イーグルス・田中将大】大好きな野球だから、どんなことがあろうと戦い抜く(3)

NHK総合の録画で「プロフェッショナル 仕事の流儀 楽天イーグルス投手・田中将大スペシャル2021」を観ました。(2021・12・06放送)

きのうのつづき

田中は負けず嫌いだ。ゲームでも、ゴルフでも、競馬でも。その負けず嫌いの田中の人生は、いつも“負け”からのスタートだった。

伝説その1「天才坂本君に負けたくない」

田中が野球を始めたのは小学1年生のとき。当時のポジションはピッチャーではなく、キャッチャーだった。何と、ピッチャーは現在の巨人のキャプテン、坂本勇人選手。

当時の監督だった、山崎三孝さんは振り返る。

天才の坂本。努力の田中。田中君はまじめ一本の子。坂本君は目立ちたがり屋。トップにならないと気に入らないわけです。

坂本君に負けたくない。田中は影の特訓を開始した。家の中でもお構いなし。

ボールを思い切って上に投げて、天井に当ててね。天井にはボールの跡形がだいぶ付いた言うて、お父さんが怒っていた。

チーム練習が終わった後も、監督の見えるところに移動して、ピッチングを猛アピール。

「わしもピッチャーできる」と。「これだけのピッチャーの球、投げれる」と。「コントロールもいいやろ」とかいう、アピールじゃなかったかなと思う。上へ上へのぼっていく子は並みの図太さじゃないね。

伝説その2「笑顔の負け」

中学生のとき、田中には忘れられない試合がある。全国大会への切符をかけた県大会決勝。2対3で負けていた。最終回、ツーアウト満塁で打席が田中に回ってきた。でも、田中は…。

中途半端なスイングして、ライトのファウルフライで試合が終わっちゃったんですよ。すごく悔しくて、自分のやってきたことを出せず、気持ちの弱さも出たと思うし、それができないっていうところで、それはすごく自分が変わるための分岐点だったと思います。

もっと強くなりたいと、厳しい環境の北海道の駒大苫小牧高校へ進学。

雪の上でも普通に土の上と同じ練習をやりましたし、そういう厳しい環境の中でやったことで、いろんなところで自信もつきましたし。

野球部の紅白戦では、田中は先輩に打たれると、鬼の形相になったという。

当時の先輩が語る。

次の打席ではすごい顔して、投げて、「オラァ」という感じで。僕らをキッと睨みつけるような感じで。本当に負けず嫌いだったと思います。打たれた打者には、次は絶対に打たせないっていう。

当時の監督、香田誉士さんは振り返る。

将大の勝負強さ、気持ちの強さ、芯の強さ。マウンドにあがれば、ピシッと抑えてくれる。「よっしゃー」というような感じで勢いよく戻って来て、また攻撃に勢いをつけてくれるタイプでした。

そして、高3の夏。甲子園の決勝。2006年だ。早稲田実業との対戦。9回ツーアウト。3対4で負けていた。バッターボックスには田中。マウンドは斎藤。両エースの対決。

田中が振り返る。

野球の神様がいるのかなって思ったけど、その中でも中学時代のことは思い出して打席に入りましたね。

中途半端に終わってしまったあの日。もう後悔はしたくない。

結果は三振。ゲームセット。早稲田実業の初優勝。戦い抜いた田中は笑っていた。

ただ自分のスイングを思い切りして、悔いのないようにやろうということだけだったので。それがあの場面でできたというのは、僕の中での成長ではあったのかな。だから自然と、三振した後、ああいう表情になったと思うんですよね、僕は。

つづく