玉川太福「俵星玄蕃」槍の達人という豪傑ぶりと、赤穂浪士に本懐を遂げさせたいという人情と。

江戸東京博物館小ホールで「玉川太福 うなる!浪曲人物伝」を開きました。(2021・11・28)

赤穂義士伝は史実を基にした創作、いわばフィクションとして講談、そして浪曲として残されているが、「俵星玄蕃」も架空の人物であることはご通家の方だったらよくご存じのことだろう。

この架空の人物を有名にしたのは、三波春夫大先生かもしれない。俵星玄蕃を主人公にした長編歌謡浪曲「元禄名槍譜 俵星玄蕃」は昭和39年にリリースされ、ヒットした。

夜鳴き蕎麦屋として吉良邸の動向を探っていた杉野十平次の常連客で、大の浅野贔屓だった玄蕃が、得意の槍で助太刀をしようとする心意気が日本人の心に響いたのかもしれない。

玉川一門は義士伝の持ちネタが多くないそうだ。だから、太福さんは今後のためにこの「俵星玄蕃」を今回、ネタおろししたのだという。今後も義士伝は持ちネタとして増やしていきたいと意気込んでいた。

天中軒すみれ「若き日の小村寿太郎」曲師:玉川みね子

伸びやかな声に将来性を感じる。師匠の雲月先生直伝で、雲月門下はまず最初にこのネタを覚えるのだそうだ。文明開化の音が鳴り、明治初期に志を持っていた男たちは多い。その志が聞き手の胸にズシーンと響いてきた。

玉川太福「不破数右衛門の芝居見物」曲師:玉川鈴

数右衛門は愛すべきキャラクターだ。切腹し死んでしまった殿様が舞台に蘇ったと思い込み、舞台の上に上がってしまうのだから。その愛くるしさを太福さんは実に巧みに表現する。コミカルである。

通常、玉川一門は入門するとまず「阿漕ヶ浦」を覚えることになっている。しかし、師匠・福太郎は太福に最初に教えたのがこの「不破数右衛門の芝居見物」だった。コント作家を志していたという前歴を考慮していたのかもしれない。

玉川太福「俵星玄蕃」曲師:玉川みね子

槍の達人としての豪傑ぶりと、赤穂浪士に本懐を遂げさせてやりたいと思う人情味を併せ持った玄蕃の人物がよく描かれていた。杉野とのやりとりに温かさを感じた。一方の杉野も決して身分を明かしてならない、討ち入りの計画を漏らしてはならないという堅さがありながら、人情味のある玄蕃に心許す一面をチラリと見せるところに、義士伝の魅力を感じた。