神田織音「塩原多助一代記」(1)三遊亭圓朝作の壮大なドラマの序開き

上野広小路亭で「講談協会定席」を観ました。(2021・10・27)

神田織音先生が二日間にわたって「塩原多助一代記」を読んだ。この日は、発端というか、序開きである。

塩原角右衛門は800石の侍であったが、その清廉潔白な気性ゆえに周囲に煙たがれ、浪人の身になってしまう。下僕の宗助が上州沼田の出身だったので、それに頼り、沼田へ出て百姓となる。だが、運命の神様は微笑んでくれなかった。集中豪雨に遭い、田地田畑および山林を台無しにしてしまった。角右衛門夫婦の息子の多助はそのとき4歳。苦労が続く暮らしだった。

角右衛門が浪人になる前に、家来に岸田右内という男がいた。右内は角右衛門の義理の娘おかねと共に、50両を盗んで駆け落ちしてしまった。その後、本郷春木町で岸田宇之助と名乗り商いをしていた。あるとき、日光中禅寺まで商いに出た。そこから沼田に出ようとすると、宿の主人がそれは難所続きだからと、案内人に熊五郎という男を連れて、山道を行く。

途中、水が飲みたくなり、山中にいた木こりに尋ねると、それが元の上司の角右衛門であった。傍にいた女性は角右衛門の妻せい。偶然というものは、いつ起こるかわからない。駆け落ちから8年が経っていた。右内は角右衛門に会ってお詫びしたいと思っていたから、これは良い偶然であった。

「お目にかかりたい人に会えた!」。右内は角右衛門に8年前に迷惑をかけたことを頭を擦るようにして詫びた。沼田の小川村に住む角右衛門のところに、厄介になることに。このとき、多助は8歳。

妻のせいに訊けば、角右衛門に仕官の話があるという。ただし、50両の支度金が必要だという。とても、この貧乏暮らしでは用意できる金ではない。来年3月にはまとまった金が入るのだけれど、今すぐにでも仕官したい。何か良い工夫はないかものか、と尋ねるせいに、右内は何とかしてあげたいと思う。

右内は角右衛門宅に一泊した翌日、小川村を立った。「角右衛門様を仕官させてあげたい。でも、手元不如意。困ったものだ」と考えながら、江戸へ向かう。一軒の茶屋があった。茶屋の主人が、ある百姓に「角さん、頼まれていた馬が手に入ったよ」と声を掛けている。角さんと呼ばれた百姓はこれから千鳥村に田畑の取引に行かなてはならない、と言って、手付金として1両を茶屋主人に渡した。

そのときに懐から出した財布にたんまりと金が入っているのを、右内は見逃さなかった・・・。

というところで、この日は読み終わりであった。