柳家小三治師匠を偲んで

柳家小三治師匠が亡くなった。81歳。いま、驚きとか、悲しみとかではなく、感謝の気持ちでいっぱいになっている。「ありがとうございました」という言葉が一番ぴったりしているように思う。

僕の中では、柔の志ん朝、剛の小三治だった。学生時代にTBSの落語研究会に通うようになり、どちらかが必ず出ていた。その高座を拝聴するのをきっかけとして、僕は生の落語を聴くことの虜になった。

滋味溢れる高座とよく言われていたが、それは21世紀に入ってからのような気がする。絶妙の間。奇を衒わずに人間の可笑しさを描く小三治落語は、噺家人生の後半戦ではなかったか。その魅力については後述したい。

20世紀と21世紀で分けるならば、20世紀の小三治は江戸落語の本格派で、(21世紀が本格派ではないという意味ではないけれど)「芝浜」や「文七元結」や「富久」といった大ネタをガッツリと聴かせてくれる熱演型の噺家だった。そりゃあ、もちろん師匠・小さんの系譜を継ぐ滑稽噺も面白かったが、圓生師匠を尊敬していることもあってか、古典落語とがっぷり四つに組む相撲に僕は惹かれた。

最初に柔の志ん朝、剛の小三治と書いたが、お二人とも圓生師匠に心酔しているところは共通していて、ただそのアプローチの仕方が柔なのか、剛なのか、という意味である。明らかに郡山剛蔵さんは「剛」の人であった。

僕が今でも目に焼け付いているのは、1993年11月19日の第305回TBS落語研究会での「芝浜」の口演である。二上りカッコで上がった小三治師匠はマクラを一切振らずに「お前さん、起きておくれよ」から入った。そして、これでもかというくらいに、力でねじ伏せるような熱演を展開し、僕の心を鷲掴みにして離さなかった。サゲを言って拍手が鳴り響き、緞帳が下がっても、僕はしばらく立ち上がることが出来なかった。

それとは対照的に、師匠・小さんの前で演じた「長短」を「お前の噺はつまらねえ」と言われたというエピソードはつとに有名だが、噺の本質を考えぬくという姿勢はその頃からずっとあったことだと思う。だから、芸に対する基準や信念は確固たるものがあった。

僕が2000年から04年まで仕事の都合で東京を離れ、(その間に志ん朝師匠が亡くなった)再び東京で小三治師匠の落語を聴くようになると、その高座は深みが増していた。テンポこそ多少ゆっくりになっていたが、21世紀の小三治落語は「人間の可笑しみ」を追求した、ある種哲学とでも言って良いような落語へと進化を遂げていった。

逝去を伝える新聞記事を読むと、「究極の話芸 実直に」「滋味深く『まくら』人気」と見出しがあり、得意演目は「厩火事」「青菜」「小言念仏」「千早ふる」「粗忽長屋」「初天神」といった長屋モノが並んだ。それは晩年、何度も小三治師匠がおっしゃっていた「自然にフッと笑ってしまうような」高座だ。言い換えれば、「人間って、なんだか可笑しいね」と、あえて笑わせようとしなくても笑ってしまう芸を最後まで磨いていたところに、21世紀の小三治落語の魅力がある。

若い頃から、好きなスキーやオートバイ、オーディオ、カメラといった趣味の話をマクラに振ることが好きだったが、特に鈴本演芸場の余一会の独演会はそのマクラが長いゆえに、終演が10時を超えることもあったけれど、晩年のマクラは身辺雑記に真骨頂があった。BSで観て感銘を受けた番組の感想や、大好きなフランク永井さんと「公園の手品師」の思い出、四谷小学校時代の同級生と未だに続く同窓会の話等々、時々固有名詞を忘れることはあったが、80歳でこれだけのしっかりした、それも魅力ある話ができるのも、若い頃に古典落語で研鑽した賜物である。

演芸評論家の矢野誠一さんが「年を重ねてボケた感じになっていくことすら、当人は自然に楽しんでいる感じでした」とコメントをされているが、マクラだけでなく、本編の一部分を飛ばしっちゃったりしても、噺の芯をしっかり捉えているから、僕ら観客はむしろ「80歳の小三治」を楽しむことができた。名人の晩年で噺がグルグル回ったり、違う噺になっちゃったりするというのがあるけれど、小三治師匠にはそれは無かった。

落語協会の柳亭市馬会長がこうコメントしている。「何事にも迎合することを嫌い、派手を好まず、極めて芸人らしからぬ、孤高の噺家でした」。この噺の芯は何か。笑わすことを意識するな。ウケさせようと思うな。ただ、人間って可笑しいね、ということを伝える小三治師匠の高座を聴いていると、「ここは可笑しいはずなのに、笑うんじゃなくて、泣いちゃうよ」ということが何度かあった。

なんか、とりとめのない文章になってしまいました。小三治師匠亡き後、後に続く噺家さんに願うのは、落語というものを目先の笑いではなく、奥にある人間の可笑しさで笑わせてくれる、そんな真の「噺家」を目指してほしいと思います。生意気言ってごめんなさい。

そして、十代目柳家小三治という名は永遠に不滅です。ありがとうございました。