【プロフェッショナル 漫画家・浦沢直樹】心のままに、荒野を行け(3)
NHK総合の録画で「プロフェッショナル 仕事の流儀 漫画家・浦沢直樹」を観ました。(2007年1月18日放送)
きのうのつづき
浦沢はある連載漫画に終止符を打とうとしていた。タイトルは70年代のロックの名曲からつけられた「20世紀少年」。20世紀と21世紀、過去と未来が複雑に交錯するSF漫画だ。
世界を支配する宗教の教祖と、その野望を阻止しようと戦うロックシンガー。謎が謎を呼ぶ展開に多くの読者が熱狂した。8年前に連載がスタートし、コミックの売り上げは1800万部。
だが、浦沢は突然、連載を中断した。期待を裏切られたと読者の非難の声が巻き起こった。
中断の理由は、浦沢を襲った激痛だった。20年以上、連載漫画を描き続けるという過酷な生活に体が悲鳴をあげた。体重を乗せる左肩が脱臼。連載を続けることは不可能になった。
リハビリを半年間続け、9月に浦沢は連載再開に向けて動き始めた。しかし、これまで感じたことのない違和感に襲われていた。「作品が自分の手から離れていく」。
「20世紀少年」は世界を支配する新興宗教と戦う人々を描いたSF冒険漫画だが、読者の興味は覆面をした宗教の教祖「ともだち」の正体に集中していた。
推理モノのつもりで描いた気は、最初からないんですけど。
連載再開の1話目のストーリーの打ち合わせが、ブレーンの長崎との間でおこなわれた。議論が集中したのは、第一回目をどのように始めるか。
浦沢は教祖から離れ、中断直前の回に登場した主人公ケンヂのライブシーンから始めたいと言った。一方、長崎は読者の興味が集まっている教祖が死ぬシーンを中心にすべきだと主張した。
長崎は読者の目が批判的になっていることを懸念していた。ひとつ間違えれば、一気に読者が離れる恐れがある。
しかし、浦沢は主人公ケンヂのシーンで始めることにこだわった。
「20世紀少年」は浦沢の自伝的要素の強い作品だ。その物語はロックに夢中になった浦沢の中学時代の逸話で始まる。1973年、中学生の浦沢は放送室にレコードを持ち込み、学校中にロックを流した。その思い出の曲が漫画のタイトルになった。主人公ケンヂは浦沢と同じくロックスターに憧れながら夢破れた男だ。
浦沢はネームに取り掛かった。しかし、なかなか進まない。
10月初め、浦沢は久しぶりに仕事場を離れ、都内のライブハウスに向かった。浦沢は漫画の中でケンヂが歌う歌を自分で作った。
今、多くのファンが浦沢の目指すものとは違うものを求めている。それでも自分の思う道を進むのか。浦沢はまた彼の姿を思い出していた。罵声を浴びながらロックを歌い続けた若き日のディラン。
浦沢には大切にしているディランの歌の一節がある。
心のままに行け 最後はきっとうまくいく
浦沢は冒頭のページに取り掛かった。こだわり続けたケンヂのライブの場面から描き始めた。観客はケンヂにあの歌を要求する。しかし、ケンヂは歌わないと答える。そして、前のめりに歩き始める。
突然、ペンが止まった。「気に食わないんだよね」。過酷な仕事で歪んだ体には、今も激痛が走る。しかし、浦沢は漫画を描くことをやめようとしない。歩き始めるケンヂ。浦沢はその姿をさらに前のめりに描き直した。
浦沢は語る。
時間を置いたことで、俺は俺のものだという感覚にもう一回立ち戻れたのが良かったかなと思いますね。ヘヘヘという悪巧みをしていたいんですよ。それを読者が喜んでくれてると思うので。今度、何を考えてるの?みたいな。
連載再開第2回は40年前の少年時代に戻る。浦沢は久しぶりに生まれ育った町に出かけた。40年前に何度も通ったおもちゃ屋さんが今も変わらぬ姿で残っていた。
描きたかった漫画をただ夢中になって描いていた子供の頃の自分。
浦沢は今、あえてあの頃の自分に戻ろうとしている。
何というカッコイイ番組の終わり方なんだろう、と思った。原点回帰。行き詰ったときは、本当に自分がやりたかったものは何だったのか?と、若い、いや幼い自分に戻ることが大切なように思う。浦沢さん、ありがとうございました。