柳家わさび「撮れ高家族」「野ざらし」創作にも古典にも感じる、落語に対するリスペクト。現代を描く意識の高さは共通している。

らくごカフェで「月刊少年ワサビ 第149号」を観ました。(2021・08・30)

僕がナマの月ワサを観たのは久しぶりだなあ、と思って調べてみたら、去年9月以来だった。およそ1年ぶり。定員を17人に限定して、徹底した感染予防対策を打ちたいとするわさび師匠の思いがあって、予約開始は事前告知されず、抜き打ちだから、アッと気が付いたときには「完売御礼」になってしまう。それだけありがたい会に今回行くことができたのも、偶然に予約がスタートしていることを早い段階で知り得たからだ。ラッキーだった。

次回で150回になる柳家わさび師匠のこの会に対する思い入れは強い。でも、特別なことはしないで、「粛々と」というのが、師匠らしいスタンスで尊敬する。あくまでも勉強会、という姿勢を崩さないところに、わさび師匠の落語に対するリスペクトと熱意を感じるのだ。

今回、創った三題噺は「撮れ高家族」。「おてんば」「よもやよもや」「こちょこちょ」の三つのお題から創作されたものだ。端的に言うと、ご自分もされているYouTubeへの意識の高さを感じる作品に思えた。

今や女子高生になった主人公の両親は、娘の幼い頃の可愛い動画が偶然バズって儲かった経験から、娘を「おてんば塾」(こんな塾が御殿場にあるという設定)に入学させて、普通の女の子とは違うキャラクターに育て、変わった動画をどんどんアップさせたいと考えたが…。

「おてんば」というのは、不良女子とは違うというスタンスの取り方、やたらと江戸口調で喋る「おてんば」な娘のキャラクターの愉しさ、そういう風に育ててしまった父親と母親の若干の戸惑い…。それでもYouTubeの再生回数を上げるのか?

ネット社会を煽りながらも、どこかで冷たく客観視するわさび師匠の視点が垣間見えて、落語はやはり現代に合わせ鏡でなくてはならないという感想を持った。

トリで演じた「野ざらし」は、「馬の骨」のサゲまで演じてくれたのが嬉しかった。マクラで「大工調べ」はあの啖呵が気持ちいいから、あそこで切ってしまう人が多いけれど、最初に「大工調べ」を作った人はどう思うのか。そういう落語に対する、これもリスペクトだと思うが、クリアにそれを持っているわさび師匠の落語愛に共感した。

隣家の先生の作り話を信じて釣りに出かけてた八五郎の軽薄な言動、周囲の釣り人の迷惑を省みないふるまい、そこの楽しさは誰もが認めるところだろうが、そのテンションをずっと保つのはなかなかできることではない。そこをわさび師匠は貫いて、さらにそこで切らずに本来のサゲまでいっているのがすごい。

八五郎の不思議な行動を「女性との逢引」だと勘違いして、夜になって八五郎宅に訪れ、ヨイショしてひと稼ぎしようと考える幇間の存在も落語っぽくて好きだ。その幇間も八五郎の色気違いに負けず劣らずテンションが高いから、この噺、ずっと高めのテンションで演じ切らなきゃいけない。それをやりきってしまう、わさび師匠の技量に感服した。