【プロフェッショナル 指揮者・大野和士】崖っぷちの向こうに喝采がある(中)

NHK総合の録画で「プロフェッショナル 仕事の流儀 指揮者・大野和士」を観ました。(2007年1月25日放送)

きのうのつづき

世界の一流の劇場から依頼が殺到する大野和士は、音楽一家に育ったわけではない。父は技術者。家にあったレコードでクラシック音楽に興味を持った。東京藝術大学音楽学部卒業後、25歳でドイツ留学。国際コンクールに出るが、4位。上位3人は審査員の弟子が独占していた。別のコンクールで優勝し、28歳で楽団の指揮者のポストを得る。

評価が下がれば、契約の更新はない。さらに厳しい日々が続く。すべてが失敗が許されない真剣勝負だ。大野は世界各地であとのない戦いに挑み続けた。

シャトレ座の奇跡と呼ぶ大野にとって忘れられない公演がある。2年前のパリ。名門劇場のシャトレ座からの依頼で現代作曲家のオペラを手がけることになった。が、公演9日前にオーケストラが所属する団体がストライキに入った。非常事態。キャンセルすることもできたが、歌手や合唱団、ピアニストを見捨てることになる。

当時のピアニストが振り返る。

長い時間をかけて作り上げてきたのに、それが無駄になると感じていました。皆、本当に悲観的で落胆していました。

大野は彼らのこれまでの努力を無にしたくなかった。オーケストラ無しでオペラをやるために型破りの手を考え出した。3台のピアノを中心に演奏をおこなう。ピアニストとともに、三日三晩かけてオーケストラの楽譜をピアノ用に編曲した。

公演まで6日。通し稽古。しかし、その演奏を聴き、愕然となった。徹夜を続けたピアニストは疲れ果て、演奏はボロボロだった。

大野が振り返る。

これを本当に聴かせていいのか。最後まで迷いましたね。

関係者の中にはこの公演はリスクが大きすぎると危惧する者もいた。しかし、指揮者として逃げるわけにはいかなかった。すべての責任を取るのは指揮者だ。すべてを背負いこむ大野の姿をメンバーたちは見ていた。

前出のピアニストが振り返る。

彼は大胆に全責任を負いました。私たちは大野さんのエネルギーに突き動かされたのです。

ヘンツェ作曲、歌劇「バッカスの巫女」。

公演の幕が開いた。舞台には不思議な力が宿っていた。観客は総立ち。連日、劇場は熱狂に包まれた。

この公演の成功は大野和士の名前を一躍ヨーロッパ中に知らしめた。

つづく