柳家喬太郎「牡丹燈籠④ お札はがし」

柳家喬太郎「牡丹燈籠~お札はがし」
根津清水谷に住む浪人、萩原新三郎は文武でも文を好む青年で、いい男。出入りの幇間医者・山本志丈が新三郎を連れ出して、飯島平左衛門の娘、露と引き合わせる。お互いに一目惚れして、恋に落ちた。つぎはいつ会えるのかしらと悶々とする日々が続いて、時は流れる。日に日に思いは募るばかりである。そんなある日、山本志丈が久しぶりに新三郎の家にやってきた。「君という男は実に罪深い男だねぇ。いい男は罪。悪党。色悪ですよ」。お露は、新三郎に会いたい、恋しい、一目見たいと、恋患いにかかり、恋焦がれて亡くなったのだという。「身に覚えはないかい?」「人の生き死にを洒落や冗談で言うべきではありません」「可哀相なことをした。恋患いだ。女中のおよねも看病疲れから、亡くなった。君はご婦人を二人、殺してしまうなんて。色男、ここに極まれり!色男!人殺し!」。

新三郎はこれ聞き、「私がグズグズしていたのがいけなかった。顔を見せに行けば良かった。気の毒なことをした」と、白木の位牌に「俗名、露」と書いて仏壇に供え、手を合わせた。ある晩、新三郎が本を読み耽って、そろそろ行灯の火を消して寝ようとした時、表からカランコロン、カランコロンという音がする。女二人分の駒下駄の足音。一人はお嬢様。もう一人はおつきの女中。牡丹燈籠が足元を照らしている。「露どのか?」「萩原様!こちらにお住まいでしたか?」「そちらはよねどの。いつぞやは大変、馳走になった。お二人はご存命か?」「私たちは堅固にござります。萩原様は堅固でしたか?」「はい。山本からは、あなた達がみまかわれた聞いておりましたが」「私たちが死んだ?よね、面白い話もあるものね。私たちは萩原様が亡くなったと伺っています」「生きております!」「これは異なこと。きっと山本が仕組んだことなのでしょう」「そうか。あなたの父上は飯島平左衛門殿。耳に入ったのかもしれません。旗本から見れば、浪人と一人娘を一緒にするわけにはいきませんものね」「どのように縁を切ろうとも、繋がっている縁はなかなか切れないもの」「お会いしとうございました」「お目にかかりとうございました。私も嬉しゅうございます」「お上がりください。つもる話もあります」「よね、良くて?」「お止め申すべきところですが、お嬢様の気持ちはよく存じております。見て見ぬふりを・・・」。お露は新三郎の家に上がりこむ。そして、その晩、二人はうれしい仲になった・・・。

これがきっかけで、毎晩のようにお露は、およねを連れて、新三郎の家を訪ねるようになった。偶然、萩原の家の前でこの様子を見た萩原の後見人である白翁堂勇斎は、ゾッとした。家の蚊帳の中では若い男女が仲睦まじく話をしている。縁側で待つ女中は透けて、後ろの柱が見えている。この世のものではない。萩原の生死を危ぶんだ勇斎は翌日、新三郎を訪ねる。「おじさん、何です?」「昨夜のアレは何だ?わしは見たぞ。夜中にここに忍んでくる者がいる。アレは何だ!」「ご覧になりましたか。通うて来てくれる女がいます。お互いに思っています。大事な女子です」「飯島の娘か?そなた、情を通じたな。枕を交わしたな?」「はい。うれしい仲になりました」「色に狂うて、抱いていてもわからんのか?肌の手触り、血潮が流れているかどうか。この世のものではないぞ。あの世のものだ!」「死んだ人間があんなに肌が柔らかいわけがない・・・。露は生きています」。諭しても納得しない新三郎に対して、勇斎は手紙を持たせて、新幡随院の良石和尚の元を訪ねるように言う。和尚に言われ、萩原は墓地を足の向くままに歩くと、やがてピタリとある墓の前に止まった。真新しい角塔婆に「俗名・露、よね」とあり、牡丹燈籠がかかって、風にたなびいている。「ご覧になられたか?あれは死霊じゃ。色に迷っているのじゃ。死霊と情を交わした者は必ず命を取られる」と和尚。さらに、「恨めしいと出るものより、恋しい、愛しいと思って出る死霊ほど怖いものはない」。そして、家の出入り口や窓に札を貼れ、海音如来の像を守り袋に入れて肌身離さず持っていろ、朝に晩に雨宝陀羅尼経の経文を唱えろと命じる。

家にお札を貼って、守り袋に海音如来の像を入れ、経を読む新三郎。布団をかぶって、ガタガタと震えているところに、再びお露たちが萩原の家を訪ねる場面も寒気がする描写だ。夜も更けて、虫の音と犬の遠吠えが聞こえるばかり。神経が高ぶって、眠れない。駒下駄の足音が地獄の底から響くように、カランコロン、カランコロン。「よね、どうしたことでしょう?今宵は萩原様のお宅に入れない」「お札が貼ってございます。萩原様がお心変わりしたのでしょう。詮なきことと諦めて、よねと二人、そろそろ綺麗なところへ行って浮かばれましょう」「嘘、嘘、嘘。お心変わりがあるわけがない。新三郎様に会いたい」。

隣家の伴造とお峰の夫婦は萩原の身の回りの世話をして、暮らしを立てている。「こっちへ、おいでよ!昨夜のアレはなんだい?女を引っ張り込みやがって!男の甲斐性?冗談じゃない。囲うなら、脇で囲うがいいだろう?何だよ、あの女は!」「お前、昨夜のアレを見たのか?」「年増だったね。いい女だった。ああいうのが好き?」「あれは萩原様のところに来る女のおつきの女中だよ」「女中好きかい?」「何を言っているんだ。あれは幽霊だよ。この世のものじゃないんだよ。旗本の娘と萩原様がいい仲になった。だけど、なかなか会えない。思い詰めて、死んだんだ。それでは浮かぶことができないと毎晩毎晩通ってくるんだよ。それに萩原様が気づいて、お札とお守りで身を守った。そうしたら、そのお札をはがしておくれ。お守りを取っておくれ、と幽霊の女中に頼まれたんだよ。あれは幽霊なんだよ。恐ろしくて、ガタガタ震えているんだ」「本気にすると思って?ワァー、コワイ、コワイ!」「多分、今夜も来るだろう。お前が相手をしてくれ。あんな恐ろしい思いをしたくない。お前が掛け合ってくれ。俺は二度と会いたくない」「今の話は本当かい?」「そんなつまらない嘘をつけるか!」「どうしよう?」「お札?お守り?」。

伴造と女房のお峰が相談する。「言うことを聞きゃあ、萩原様があの世連れていかれる。言うことを聞かなきゃあ、俺たちが殺される。俺達は萩原様のお蔭で食べている。萩原様が死んだら、俺達夫婦は暮らせなくなっちゃう。どうしよう?」「こう言ってごらんよ。これは仕事だよ。頼まれごとだから、手間賃をおくれと。百両と言ってやんな。くれなきゃ、仕事はできないって。萩原様の命のかかった仕事だ。百両持ってくれば、手元に残る。それを元手に商売をすればいい。それで、私達は生きていけるよ。心配しなくていいよ。持ってきやしないよ。幽霊にはお足がないんだから」「あの人にはあるんだよ!下駄をカランコロンと鳴らしてやって来るんだ」「持ってきたら、仕事をするしかないね」。

再び伴造の家を訪ねるお露とおよね。「伴蔵さん、昨晩のお願いはお考えくださいましたか?」と聞かれ、手間賃の条件を持ち出す。「おっしゃることは理にかなっています。いかほどですか?」「百両くんねぇ」「百両・・・ご無理を申されてはいけません。かような身で、百両の支度ができるわけがないではないですか」と言い残し、幽霊は消える。「おみね、消えたよ!」「良かった。諦めたね」「見たろ?怖いだろ?」「いい塩梅に浮かんでくれるといいね」。安心して床に就いた夫婦の枕元に、突然ジャラジャラと小判が降ってきた。山吹色の山だ。慌てる夫婦。「山吹色の山だよ」「どこから降ってきたんだ?」「本物だよ。数えるまでもない」「間違いない。俺は、小判というものを前にして、こんなに嬉しくなかったことはないよ」「腹をくくるしかないね」と伴造とおみね。

そして、翌日、萩原を騙して、行水に誘う。伴蔵が背中を流している間に、お峰は守り袋の中を、海音如来の像から土人形とすり替える。「お蔭さまでさっぱりしたよ」。その行水が湯灌に、着替えた浴衣が帷子になるとは、そのとき新三郎は知るよしもない。その夜遅く、およねがやって来る。「伴造さん、お札がはがれてございません。こちらは約束を守りました」「お守りははずしました。お札の方は昼間はできない仕事。夜しかできません。これから、やろうと」「お嬢様お待ちかねです。早うお願い申し上げます」。伴造は梯子に登り、天窓のお札を爪でベリベリベリと無我夢中で剥がす。お露とおよねがニッコリ笑う。「お嬢様、今宵は萩原様に十分、お恨み申しあそばせ」「新三郎様に会えるのね」。二人は天窓から中に入っていった。

翌朝、伴蔵は気になってしょうがない。早くに目が覚めた。萩原様のところへ様子を見に行く。寝間を見て、息を飲む。「お前、これからも一緒にいるよな?」「一蓮托生じゃないか」。夫婦二人で相談し、白翁堂勇斎を呼びに行く。勇斎が萩原の家を訪ねると、ハッと息を飲む。寝間では、新三郎の痩せ細った身体が土気色になって、目ばかりがギロリと鋭く、口からは泡を吐いていた。手は虚空をガッと掴んで、息絶えていた。そして、二体の白骨がその横に。萩原様は幽霊に憑り殺されたと近所に言いふらし、伴蔵夫婦は「こんなところにいられない」と、生まれ故郷の栗橋へと移り住む。