柳家喬太郎「牡丹燈籠① 本郷刀屋」
文春落語オンラインで「柳家喬太郎独演会 怪談牡丹燈籠」を観ました。
4月から5カ月にわたって喬太郎師匠が「怪談牡丹燈籠」を配信で口演した。「本郷刀屋」「お露新三郎」「お札はがし」「おみね殺し」「関口屋強請り」の全5話。しかし、「これだけの噺ではないんですよ」と断って、師匠は「孝助伝」について触れていた。
配信では「本郷刀屋」のみ、孝助伝に絡むが、「お露新三郎」から続く「関口屋強請り」までのストーリーが最終的に「孝助伝」と結びつくところが「牡丹灯籠」の醍醐味だ。怪談噺というよりも、因縁噺としての圓朝作品の魅力がそこにある。
喬太郎師匠は2011年に本多劇場で、3公演8席に分けて、この「牡丹燈籠」の通しを口演していて、それ以降、あまり「孝助伝」に絡む部分は高座にかけていない。そこで、そのときの口演を聴いたときにメモを基に記録したものを再録して、通しで聴く「牡丹燈籠」の魅力を伝えたい。
柳家喬太郎「牡丹燈籠~本郷刀屋」
寛保3年4月11日、湯島天神で聖徳太子の御開帳があった日。本郷三丁目の藤村屋新兵衛という刀屋で、飯島平太郎という若侍が刀の品定めをしている。「この刀を見せてくれ」「さすがはお目が高い。銘がないのが残念ですが、仲間内では天正助定ではないかと」「結構なものだな」「十分に吟味を」「いかほどだ?」「銘がないので、10両でお願いしたいのですが」「左様か。値も良いのぉ。求めたいが、7枚半に負からんか?」「いえ、10両で何とか」。そんな掛け引きをしていると、表の方が騒がしい。
「コラ!」。酔っ払いが若侍の伴の中間にからんでいる。「ご勘弁を!」「道ゆくものが迷惑だ。袴に泥がついた。勘弁ならん」。若侍が仲裁に入る。「ちょっとお待ちを」「この者の主か?」「下がっていなさい」「伴なら伴らしくしていればいいものを。手討ちにしてくれる!見ていなさい!」「家来の手落ちは主の手落ち。勘弁してください」「この者を手討ちにしても、刀の汚れになっても、何の手柄にもなりませぬ」「そうだ。犬同様だ。だが、犬に頭を上げたり、下げたりするか?」。若侍が手に刀を持っているのを見て、「なぜ?刀を手にしておる?身共と斬り合うつもりか?やるなら、やろうか?」。
野次馬が集まる。「犬の喧嘩?」「酔っ払いがからんでいるんだよ」「叔父さんが甥っ子に刀を買うんだったら、奢っておくれよと言っているんだ」等々、無責任な話をしている。「あの若侍にからんでいるのは、浪人者の黒川孝蔵ですよ。何かと言うと、因縁をつけ、金や酒をふんだくる、この辺りでは鼻つまみものですよ」「斬っちまえばいいのに」「あの若侍、線が細いな。早くやっちまえばいいのに」「ペコペコしているよ。だらしがないな」。こうした声が若侍の耳に入る。腹が立つ。こめかみに青筋を立てる。しかし、辛抱して、「そこを何とか、ご勘弁を。お許し願いたい」と頭を下げる。「なぜ、膝をついて謝らん?腹から謝っていないのだろう?できなければ、立ち合うか?よいか?」。けしかける、黒川孝蔵。
「この通り、改めてお詫び申し上げる。どうか、ご勘弁を」。膝をついて、謝る若侍。「人を浪人と見下して・・・無様なものよのぉ、みじめなものよのぉ。侍も地に落ちたのぉ。これでも、食らえ!」。黒川は痰唾を、若侍に向かって、吐く。腹に据えかねた若侍。「武士の頭に痰唾を吐きおったな!さきほどから、立ち合うと・・・」。若侍の顔色がみるみる変わり、刀を抜く。「それでもやるか!」。若侍の勢いに威圧された黒川は「そのようなものではない!結構・・・許してつかわす・・・ごめん!」と立ち去ろうとする。その背後から袈裟懸けに、バサッと斬った。「本当に斬りおったな!」「斬ってくるか!」。若侍は黒川と立ち合い、三角に、葛餅のように斬り殺した。
酔っ払いは、その場に倒れて、息絶えた。「馬鹿な奴だ」。そして、店に振り返り、「主!」「見事な腕前ですな」「さすがは刀剣を扱う商売。落ち着いているな」「いえ、腰が抜けております」「なるほど、よう斬れるのう」「天正助定ではないかと・・・」「よき代物よ。なぁ、主、7両2分に負からんか?」「負けます、負けます」。
この若侍、飯島平太郎は父・平左衛門から家督を継ぎ、飯島平左衛門を名乗り、妻を娶った。産み落としたのは、女の子。露と名付け、手塩にかけて育てた。やがて、奥方は死んでしまう。女中をしていたお国という女が、いい顔をするようになり、飯島の妾のような存在として、のさばるようになる。お露は多感な年頃で、お国と折り合いが悪くなる。市中の別なところに住みたいと、およねという女中を連れて、柳島に別居するようになった。
飯島のところに新参の草履取りとして奉公するようになった、孝助という男。奉公人仲間にも評判が良い。「奉公は初めてか?」「いえ、前に三軒ほど。どこも続きませんでした。よろしくお願いします」「辛抱ができんのは困るな」「いえ、以前は商人の奉公でした。武家奉公がしたいと思っていました。その願いが叶いました」「剣術でもするつもりか?」「お許しをいただければ、ご指南願いたい」「どうかのう?親は?」「母は4つのときに、越後へ行ってしまいました。父は、黒川孝蔵というのですが、斬り殺されました。酔って暴れて、飲み食いを踏み倒す、しょうがない人間だったと聞いています。18年前、本郷三丁目藤村屋新兵衛という刀屋の店先で斬り殺されました」「いつ?」「湯島天神で聖徳太子の御開帳があった、4月11日です」「左様か。なぜ、その方は剣術を習いたいのだ?」「必ず仇を捜し出し、仇を討ちたいのです。是非、剣術のご指南を!」「あい、わかった。親の仇は討ちたいもの。稽古は厳しいが、そなたが本気であれば、指南してやる。いつか必ず、討てよ」。