【談春アナザーワールド ⅩⅧ】「小猿七之助」

立川談春師匠が2010年1月にスタートして、18回にわたっておこなった「談春アナザーワールド」の当時の記録を残しておきたい。きょうは2012年9月の第18回だ。

立川談春「小猿七之助」
江戸時代、広重という浮世絵師は「三千両」という絵を描いた。ひとつは團十郎の「暫」で芝居町。もうひとつは花魁道中で、吉原。そして、もうひとつは鰹で、魚河岸。それぞれに日に千両の金が落ちたという。両国の夏涼みは旧暦の5月28日から100日間。夏の涼みは両国の、出船、入り船、屋形船。上がる流星、星下り。玉屋が取り持つ縁かいな。その昔、一人船頭、一人芸者は御法度。堅く禁じられていた。

「私、徳さんが嫌いなんだ。七っあん独りにしてくれないかしら」「いいですか、姐さん。そんなことを」「いいの」。芸者が承知で乗り込んだ「一人船頭、一人芸者」。船頭は、すばしっこいことから「小猿」と渾名された七之助。芸者は当時の浮世絵師が一枚絵に描いて評判を取った、男嫌いが売り物の「滝の家のお滝」だ。「七っあん、降ってきやしないかい?」「星は見えていますが、長持ちはしないでしょう。まぁ、家へ帰るまではもつでしょうけど」。真っ暗の大川。永代橋から「南無阿弥陀仏!」と飛び込んだ姿が見えた。「お客さんだよ。身投げだ」。身体が水面から浮かんできた。「掴まえた!こうなりゃぁ、こっちのもんだ。姐さん、こっちへ、回っちゃ駄目だ。あっしも、姐さんもかき揚げみたいに、絡まったまんま死んじまう。蝋燭の芯を切ってください」。

舟の中が明るくなる。「どうだい?」「お店者ですね。歳は若い。気は失っているが、水は飲んでいない。押せば・・・。おっと、気がついた。心配することはない。縁があったんだな。たまさか、死のうというには、余程のワケがあるんだろう。話してくれないか。いい思案が浮かぶかもしれない。若いし、男っぷりもいい。女の一件だな。惚れている女に裏切られた、捨てられた。図星だろ?」「そんな浮いた話じゃないんです」「お前は、今、浮いてきたが・・・悪かった。話すだけで気が楽になるよ。話してくれ」「危ないところを助けていただき、ありがとうございます。お言葉に甘えて・・・」。

「私は新川新堀、鹿島屋の幸吉と申します。今朝、早くからご主人の掛け先を回りまして、30両を懐に高輪から永代の渡し船に乗り、はじまった腰かけ博打に手を出したのが間違いで、気がつくと、30両ペロリと取られたんです」「お前さん、間違っているよ。ご主人様が30両こしらえるのは、並大抵の苦労じゃない。それが博打でお前が儲かるくらいなら、お天道様が西から出るよ。30両あれば、死なずに済むのか?でも、船頭風情に何ができる?姐さん、聞きました?高い買い物じゃない。面倒見てくれませんか?」「いいよ、七っあんの頼みだ。着物から三味線、バッタに売ってこしらえるから、助けてやると言っておやり」「姐さんにお礼を言え。堅気の商人が姐さんのことを知るわけないだろうが、滝の家のお滝さんだ」「あなたが、名高い御朱殿のお滝様・・・」「渾名で呼ぶ奴がいるか!気を悪くしちゃいけませんよ。長袢纏を貸してやる」。

「右手に持っているのは片袖だな」「この片袖が恨みなんです。イカサマ博打で30両を取られた」「船頭が教えてくれました。今、稀代のイカサマ師だと。追いかけて、半分でも返してもらうと言うと、茹でた卵じゃない、返りっこないと。腕ずくで取り返そうと、むしゃぶりつきましたが、投げ飛ばされて、雪駄で滅多打ち。眉間が血だらけになりました。悔しくて、永代の欄干から身を投げました」「そのイカサマ師の名前の一字でもいい。何か覚えていないか?名でも?所でも?」「姐さん、金いりませんよ。お前、いくら取られたって?倍にして返してやる。明日、殴りこんでやる」「存じています。住んでいる所も、名前も」「それを早く言え!」「深川きってのイカサマ師、子供でも知っているという、深川相川町、網打ちの七蔵」「知らないよ」「顔色が変わった」「俺の生まれが深川の相川町。間違いないんだな」。

立ち上がって、まだ足元の定まらない幸吉。その隙を窺って、七之助が胸板をドン!と押したから、幸吉は川の中へ落ちる。「七っあん、どうしたの?」「飛び込んじゃったよ」「だって、今、あんなに助かると喜んでいたじゃないか」「話がトントン進んで、死神にでも取り憑かれているんじゃないですか?」。「気持ち悪い。帰ろう」「ええ、帰りましょう」。ギィーという声が聞こえたのが、鹿島の幸吉の断末魔。「今の声、人の声だよね?助からないの?」「無理でしょう。この川の流れじゃぁ。帰りましょう」。

七之助は永代をくぐり直して、舟を引き返す。「どこへ行くの?」「駕籠に乗りゃぁ、駕籠屋まかせ。舟に乗りゃぁ、船頭まかせ」「アベコベじゃないか?」。網船一隻、出ていない。築地の波除け稲荷のお灯明が出ているだけ。小柄を口にくわえると、お滝の前で「見たね?見ねぇとは言わせない。何と無慈悲なことをと思うかもしれないが、ちょっとワケがある。網打ちの七蔵というイカサマ師は、あっしの実の親父です。イカサマで儲けた金が、佐竹様の刻印が押された贋金と知らず、「御用!」と手が回りかけたときに、『実はその金は私が蜆獲りに行った帰りに、永代の袂で拾って、親父に使わせたものです』と自分から名乗って出た。倅の帰ってこないのは、陰から意見をしているつもりでした。無駄でした。親父は腐っていた。網打ちの七蔵に盗られたと幸吉が喋ると、親父の首が繋がっていない。親父が可哀相でやったんです」。

「姐さんにペロリと喋られると、今度はあっしが娑婆にいられない。悪い夢と諦めてください」「いいよ。わかった。人間一度は死ぬんだ。この男と思った人に殺される。殺しておくれ。殺しっぱぐれはないよ。だけど、待っておくれ。死んだ後、どこへ行けばいいの?それはつれないよ。一人船頭、一人芸者。船宿が許すと思うの?蝶よ、花よと浮いた稼業。同じ苦労なら、七っあんみたいな人としたいと、普段よりお酒を頂いた。徳さんは嫌いと断って、一人船頭、一人芸者にした。私の気持ちを聞いてもらおうと思った矢先だよ。私の最後の言葉だよ。先月28日の十三夜の晩だったね。♪主に漕がして乗る身の辛さ~と唄ったら、ニッコリ笑ってくれたね。思いが叶ったのかな?と思った。あんなこともあった。覚えているだろう?・・・」。こうなると女は強い。

いくら泣いても、喚いても、町が違って洲崎の土手。湿りがちなる潮風に、途切れた雲の星明かり。かすかに聞こえる弁天の、茶屋の端唄や元木場の、木遣りの声を寝耳にし、嫌でもあろうが滝川さん。バッタやイナゴと割床に、丁と半との向こう買え、一番受けさせておくんなせえ・・・。「小猿七之助」抜き読みでした、でサゲた。カッコイイ、立川談春であった。