【談春アナザーワールド ⅩⅦ】「おさん茂兵衛」
立川談春師匠が2010年1月にスタートして、18回にわたっておこなった「談春アナザーワールド」の当時の記録を残しておきたい。きょうは2012年8月の第17回だ。
立川談春「おさん茂兵衛」
江戸深川に中島屋総兵衛という呉服屋があった。夏は縮緬の注文が多い。上州の桐生まで買い出しに、奉公人の茂兵衛が出た。茂兵衛はあと1、2年もすれば番頭という商売熱心の手代。26歳。生まれついての女嫌いで、どこか身体が悪いんじゃないか?と言われるほどだ。懐に30両を入れて、深川を出て3日目。武州の上尾に出た。倹約して、損をさせないようにしよう。宿はずれの一膳飯屋で、ありあわせのものを食べる。そこで働いている女に目がいった。歳の頃は23、4。化粧をせず、袢纏を着て、一生懸命働いている。「どうして、こんな田舎に、こんないい女が?」。悪縁というか、因縁というか。一目見て、ボーッとしてしまい、ため息ばかりが出る。「せめて食べている間は」と、おかわりをし、ジロジロと見つめる。お腹がいっぱいになり、動けない。勘定をして、表に出た。
「いい女だ。男と生まれたからには、ああいう人と夫婦になりたい。人の女房なら、一時でもしみじみ茶でも飲みながら、差し向いで話をしたい。自分がこんな気持ちになるなんて」。桐生へ行かなくてはならないのに、一歩も足を踏み出せない。馬子が通る。「権十じゃないか?」「佐助どんか?」「用があってね。祭りがありましてね。若い奴が太鼓を毎晩叩いて、煩くて」「お宅の倅は?」「えらいことになりましてね。あのバカ、女郎と逃げた。政五郎親分のところに相談に行った。あまっこ差し出したら、何もなかったことにしてやると」「あの親分に話をすれば、大概はまとまる」「倅はしばらく静かに?」「これが全然。道楽がやまない。注文があるんだ。銀のタガで肥たご桶を作りたい」「おいでなせい。どうどう!」。
この会話を聞いていた茂兵衛は権十に声をかける。「あの・・・もし、もし」「あんだか?」「伺いたいことが。偉い親分とか?」「佐野親分のことか?知らないのはもぐりだ。お前さん、どこの者だ?江戸者か?」「親分のお住まいはどちら?」「相談ぶつ?どんなことでも叶えてくれる。十町半先の笹屋という料理屋の前だ」。
茂兵衛が菓子折りを持って訪ねる。「ごめんくださいまし」「誰だ?」「私、江戸深川の呉服屋の手代です。佐野親分の家では?折り入って相談願いたいことがあります。これは土産代わりです」「江戸から客人だ。政兄ぃ!」「札のめくる音をさせては駄目だ。親分に話がある?こっちへお通ししろ!」「この人でござんす」「いらっしゃいまし。遠慮することはない」「お初にお目にかかります。江戸深川仲町中島屋総兵衛のところの手代で茂兵衛と申します」「あっしはサブというヤクザものです。昔は江戸者でしたが、間違いを起こし、片田舎に越してきました。江戸の人が来てくれるとは嬉しい。親類に会ったような気持ちです。布団をあてていただいて・・・結構なものを頂戴しまして」「実はご相談が・・・」「間違いでも?性質の悪い駕籠かきがいます。うちの子分が大勢いる。筋の立つようにしようか?」。
「そういう話ではありません。実は・・・極、内々に親分に話したいのですが。お傍の衆を遠ざけていただきたい。彦!向こうに下がっていろ。了見だけは一人前のつもりでいるんです。勘弁してください。聞きましょう」「実は宿はずれの一膳飯屋に歳の頃、23、4のおかみさんがいますよね」「それが?」「お笑いくださいませんように。女嫌いの私が一目見て、思いをかけた。勿論、主ある女なら、どうこうしようというものではありません。一緒に茶でも飲みながら、差し向かえで話がしたい。親分さんなら、どんなことでも叶えると聞きました」「妙な頼みだ。実はあの女はこさんと言って、品川にいて、大変売れた芸者だったんです。祭りになると、2、3人の芸者を江戸から引っ張ってくる。2年前でした。金五郎が惚れて、夫婦にまとめて、一膳飯屋をやらせているというわけです。こさんから、名前をおさんに改めました。それはなかなか難しい相談だ。上尾のサブはてめえの子分の女房を旅人に差し出したと噂になる。あなたの気持ちはよくわかる。でも、世間はそうは言わない。旅人に子分の女房を差し出したと。折角の話だが、できることと、できないことがある」。
「ここに30両あります。これを金五郎さんに渡してください。そして、半時だけ話をさせてください」「金が絡むと話がこじれる。30両で旅人に売ったことになる。笹屋に芸者は来ています。そこで景気をつけて、夜が明けたら、桐生へお行きなさい。そうしましょう」「どうあっても、駄目ですか?」「こればっかりは。今は命がけで思い詰めている。でも、時が経つと忘れますよ。確かにおさんはいい女です。金五郎は了見の良くない奴だ。金のことで面倒なことになっても」「ご迷惑をおかけしました。失礼をします」「そうはいかない。ここで別れたら、しこりが残る。笹屋で騒いで、帰ってください」「先を急ぐ身体です。また、帰りに寄るでしょう」。去る茂兵衛。
「彦!追いかけて!」「待て!政兄ぃ、助けてくれ」「飛び込んで死んだら、迷惑がかかるじゃないか」。「茂兵衛さん、ひとつしかない命だよ。泣いているのか?」「こんな気持ちは初めてです。おさんさんと話ができない。生きている甲斐がない。だから、飛び込むんです」「わかったよ。祭りが近いから、金五郎も金に困っているだろう。30両あれば、呼んでくることができる」「お願いできますか?」「30両、預かりましょう」。「彦!金五郎のところに行ってくれるか?間違いのないように、この人と離れないようにしておけ。茂兵衛さんを見ておいてくれ」。
一方、金五郎宅。「年に一度の祭りだというのに、兄ぃらしいことができない。しばらく、身を沈めて都合してくれないか。必ず、後で何とかする。2、3日だけ木崎の大黒屋という女郎屋に行ってくれ」「行ってもいいけど、間に入った親分にきちんと話をしておくれ。私は諦めている。内緒は嫌だ。小言なんか言いやしない。黙って行く馬鹿はいないよ。相談があってもいいだろう。ちゃんと話をしておくれ」「駄目に決まっているから、ペコペコ頭を下げているんだ」。夫婦がやりとりしているところに、親分が。「あら、親分。丁度いいところに」「内緒だぞ!」「いいじゃないか」。
「オイ!金!傍から見ていると、揉めているみたいだったぞ」「この人が言うんです。木崎の大黒屋に行けと。目と出たら、請け出すと。嫌と言っていない。親分に内緒は嫌なの。きちんと話をして!そんな話をしていたんですよ。親分!」。「愚痴をこぼしていたんです。私が木崎の大黒屋に2,3日勤めに出る。間に親分が入っている。気まずいじゃないですか。だから、話をしようぜと。それを内緒にしてくれなんて」。「オイ!金!しばらく見ない間に義理堅くなったじゃないか。話は置いておいてくれ。相談があって来たんだ。ウンと言えば、30両貰えて、人の命が一人助かるんだ」「違うでしょ?一人殺すと30両でしょ?」「そうじゃない」「本当に?人助け?どんな話?」。
「一膳飯屋で25、6の商人風の男がいたろう?」「ジロジロ見てました。品川のお客かなと」「妙な話でな。生まれついての女嫌いだが、一目見たときに思いをかけた」「そうでしょう?よく飯を食う奴だった。重湯をかけた?」「その男がおさんに惚れたんだ」「何を!人の女房に?どこにいる?叩きのめしてやる!」「話をしたんだが、江戸の商人の手代でな。会いたい一心なんだ。俺の家で差し向かえでお茶を一杯飲みながら、話をさせてくれと。30両出すから」「早い話がお座敷でしょ?芸者でしょ?ありがたい。人の命を助けて30両!行ってこい!」。
おさんが言う。「親分、すいませんが、その話、断ってください」・・・「そのお金、何にするの?30とありゃぁ、そういうお金。勤めをする方がよっぽどいい。上尾では30両で女房を差し出した。噂になったら、親分の顔にも泥を塗る」「俺の言うことが間違っている。おさんの言うことが筋が通っている。常盤御前は3人の息子を助けるために清盛に身を任せた。そして、平家を滅ぼした。破る操が真の操なんだ」「親分がそこまで言うなら、お任せします」「ここに30両、入っている」「このボロじゃぁ。先に行って、繋いでおいてください」。品川で売れた芸者をいい女に仕立てた」。
「おさん、よく聞け。30両出したということは、まだ持っている。しっぽりしけこんで、残らず奪ってしまえ」。この亭主・金五郎の言葉を聞いて、おさんは思った。「この人は金のためなら、女を切り売りする了見なんだ」。茂兵衛はポロポロ涙をこぼして喜んだ。おさんの気持ちが揺れ動いた。「雪と墨の相違だ。こういう人のために苦労したい」。そして、おさんと茂兵衛は手に手を取って逐電した、でサゲ。単純なストーリーだが、初めて聴く噺だっただけに、ワクワクしながら聴いていた。最後は何ということもない終わり方だが、サゲまで興味を逸らさずに聴き手の心を離さない高座は、さすが名手・立川談春だと思った。