【談春アナザーワールド ⅩⅥ】「景清」

立川談春師匠が2010年1月にスタートして、18回にわたっておこなった「談春アナザーワールド」の当時の記録を残しておきたい。きょうは2012年7月の第16回だ。

立川談春「景清」
「定さん、どうだい?目の塩梅は」「おいおいと悪いんで。本町の吉田先生にも見放されました。『気の毒だが、手遅れだよ』って。そんなこと、おふくろには言えません。諦めちゃいけない。人が人を治すことができるのか?と。信心に頼るしかない。赤坂の日朝様に三七、二十一日、日参しました。驚きました。仏様はご利益がある。目の芯、しこりみたいなところ、硬くて熱いところが闇みたいになっていたのが、周りがぼやけて、ほどけてきた。満願の日、顔を洗おうと手を伸ばすと、前に何かがよぎったのがわかった。一生懸命、南妙法蓮華経と唱えました。おふくろが、もう風邪をひくから帰ろう、気長にやろうというのを、奥に何本かの蝋燭があるのがわかる、辛抱のしどころだと、おふくろを帰して、俺一人で拝んだ。すると、隣でお題目を唱える女の声が聞こえる。にわかメクラですが、人の気配がわかる。色っぽい声。南妙法蓮華経。掛け合いだ。『姐さん、こんな夜中にご精が出ますね』『日朝様に無理なお願いをしているんです』『コレのためなんでしょ?』と言って、親指を立てても、『ハァ?』と言って、通じない。向こうもメクラなんだ。身の上話になった。『おっかさんのためにおすがりしているんです』『一緒です。おふくろは何も悪くない。私のせいだ。この日朝様はご利益がある。お互いにお願いしましょう。こっちへ』ご利益はある。プーンとおいでなすった。髪の油、白粉の匂い。久しぶりの匂い。鼻が利くんだ。近くにいるのかな?夢中になって拝んだ。お題目を唱えながら、躓いたふりをして手を伸ばして触った。驚かない。肝の据わった女だな。三度やった。嫌がらない。考えるでしょう?これは、ひょっとすると嫌じゃないのかな?今度はギューと音のするほど手を握った。そうしたら、もう一本の手で握り返してきた。この女はモノになるな。そう思った途端に、パタン!何も見えなくなった。気配もなくなった。姐さん!呼んでも、いない。そのうち、目に熱をもってきた。前より悪くなった。仏罰だ。日朝様が姿を変えて出てきたんだ」。

「怒っちゃった。コラ!この日朝坊主!ふざけるな!女が仮に本物だとして、二人で夫婦になって誰が困る?幸せになって何が悪い!ご恩は生涯忘れない。許せないと思いませんか?焼き餅妬きみたいな真似して。何で、人を値踏みするような真似するんだ!お前の悟りは嘘だ!とね。そして、履物を投げたら、当たった。すると、眼がズキズキと痛くなった。眼の芯の闇は突き当りじゃなかった。奥で真っ赤に燃えて。お医者様が治すんじゃない。薬が治すんだ。何で人を試すような!もう諦めました。治そうと考えずに、按摩の修業でもします。それで、安息に暮らそうと思って。で、旦那に紹介してもらおうと」。石田の旦那が答える。「でもね、定さん。お前さんは世に出ていない。木彫り師としては右に出るものがいない腕がある。江戸で一番の彫り物を彫ることができる男だ。後世に残る、これが定次郎のものだ!という逸品を彫り終わるまで未練はないのかい?」「目が明いているうちに頑張っておけば良かった。駄目になって気づくんだ。木彫り師の定次郎は死んだと思ってください」「悔しいだろう?」「仕事場へ入るよ。彫れないんだ。何とか形にはなる。だけど、これが定次郎の彫ったものですという、そこまで根性がない」。

「医者が駄目で、仏様が駄目でも、神様が残っているだろう?」「あれは一味ですよ。日朝が廻状を回しています。お前の悟りは嘘だと言われたと」「どうだい?騙されたと思って、もう一度信心してみないか?上野の清水の観音様に。あれは京都が本家だけど、景清とかいう目にご利益がある神様がいると聞いたよ。やってごらんよ。そのかわり、仏罰を被っているんだ。仮に百日。駄目なら二百日。それでも駄目なら三百日。三年、五年と誠が届くときまで願掛けをしたらどうだい?できるかい?できないなら、やめな」「おふくろが死ぬまでやります。おふくろは自分が悪いみたいに言っていて、可哀相なんだ。観音様は気心が知れている。気持ちが伝われば、通じる。親子で信心だ」。

いよいよ観音様に通って百日目。満願当日。満願成就を期待する定次郎。「清水様。定次郎でございます。百日です。一日も休みなく、やって参りました。百日だから、治せというつもりはありません。もしかしたら、ご利益が・・・影くらいは。お賽銭を差し上げます。ひとつ宜しくお願いします。頼むぞ!凄い!」。呪文らしきものを唱え、「どうぞ定次郎の両眼が明らかになりますように」と祈る。「ヒノ、フノ、ミ!軽いのがいいでしょ?粋にいきますよ!ヒノ、フノ、ミ!」。だが、目は明かない。「観音様!わかっています?定次郎でございます!百日、雨の日も、風の日も休みなく通いました。恩に着せるわけじゃない。私しかいないんです。明けるなら明ける。駄目なら駄目。伝えてくれません?帰るきっかけがつかめない。ヒノ、フノ、ミ!」。やっぱり、目は明かない。「伝えているのに、お前に聞こえないと言うんですか?それとも、知らん顔か?明かないから駄目だとは思わない。駄目なら駄目と言ってくれてもいいじゃないですか。明日も来るよ。ハッキリしろよ」。定次郎はキレる。「明かなきゃ、明かないでいい。知らんぷりかい!やい!カンコウ!卑怯だぞ!」悪態をつく定次郎。

様子を見に来ていた石田の旦那が頭を叩く。「私だよ。何、やっているんだ?百日が駄目なら、二百日。辛抱が肝心と言ったろう」「旦那は観音とグルですね」「目が悪い分だけ、続くんだよ」「でも、来た気配もわからない。旦那、賽銭の割り前、もらっている?旦那の言っていることは正しいよ。わかるけど。でもさ、聞いてよ。百日と区切るワケがあるの。愚痴になるけど、聞いて。お賽銭は誰が稼ぐの?俺は厄介者だよ。信心を仕事にしているようなものだ。おふくろだよ。長屋の使い走り。子供の子守。私が代われるものなら、代わりたいと言っている。治したいと思っていない。印籠を渡してくれと言っているんだ。おふくろの首を絞めて、私も死ぬ。目を治すのが励みになっている、なんて他人様の言うこと。京都に塩漬けの目があると言っていたね。旦那!」「定さん?何、やっているんだ?ワァワァ、騒いで」「さっき叩いたでしょ?」「知らないよ。明かなかったかい?百日が駄目なら、二百日。二百日が駄目なら、三百日だよ。帰ろう」「帰れない話、聞かなかった?」

「あぁ、そう。オイ!カンコウ!情にすがるわけじゃない。お前の胸がズキズキ痛むようなこと言うぞ。酷くなるな。日朝様は手を握ってくれた。この縞物の着物はおふくろがこしらえてくれたんだ。『定次郎、帰ってくるときには、この縞目がわかるんだね』って。てめえはそれなのに・・・当てつけみたいに、首括ってやる。おふくろも黙っていない。メクラの倅と年老いた母親を殺した薄情の観音として苦しめ!」。石田の旦那が言う。「これからは私が面倒を見るから」「石田の旦那を信じていないわけじゃない。この観音がこともあろうに旦那に化けて・・・冗談じゃないよ!」「帰ろう」「帰りますか。目が明くかもしれないと、百日楽しく過ごせた。信心なんて、そんなものかもですかね」。そして、定次郎は「どんな仏罰が当たってもいいですと」と言って、最後に吐き捨てるように叫ぶ。「覚えていやがれ!」。

雲が出てきて、ポツリときたら、やがて酷い雨。そして、ゴロゴロと雷。旦那は「雷は嫌いだ。急いでおくれ」と言って駆け出す。すると、定次郎の右肩に雷が落ちた。定次郎はその場に倒れてしまう。石田の旦那は驚いて、逃げてしまった。半刻経つと、雨はやみ、定次郎は息を吹き返す。「寒い!えらいことになっちゃった。旦那!アレ?逃げちゃったの?随分、薄情な旦那だね。何を信じていいか、わからない。ずっといい人が悪くなったり、悪い人が良くなったり」・・・「ハ?ヘェ?」。縞の着物の柄がわかる、指も勘定できる。「明いた!目が明いた!ありがてぇ!観音様、ありがとうございます!」。

「おっかさん!今、帰ったよ」「定次郎、目が明いた?」。定次郎は仕事場に籠り、コツコツと徹夜をして、四寸の見事な観音様を彫りあげた。「これから、石田の旦那に見せに行く」。「よく考えたら、酷い仕打ちだよな。驚かせてやろう」。♪明いた目で見て気を揉むよりも~いっそメクラがよいであろう~ 「旦那!根が陽気ですから、陽気な出方した方がいいと思って」「勘弁しておくれ」「あんないい人が雷に打たれたら、あっしを置いて・・・こんなことになりました」「浮かんでおくれ」。からかう定次郎。「目が明いたんですよ!」「観音様のご利益か?良かったね!」「良かった。来たのは、ちょっと付き合ってもらいたいんだ」「お礼参りかい?」「これなんです」。四寸の彫りあがった観音様を差し出す定次郎。「できたね!慈愛に満ちたいい顔だ。定さん!大したもんだ。これだけできりゃぁ。さすが私が目をつけただけの木彫り師だ」「旦那、私に目を付けたのは観音様です」で、サゲ。

突然失明したことに絶望し、先行きへの大きな不安を抱えた定次郎の、時に子供っぽく怒り、時に母親の心遣いを察して涙する真っ直ぐな気持ち。それを見守る石田の旦那と母親の温かい気持ち。美談である。目が明かなくて観音様に弱音を吐いたり、怒ったり、定次郎の人間的な部分をしつこいくらいに描いていたが、その分、美談が説教がましくなく、聴き手に伝わる。演じられることが少ない、目が明いた定次郎が真っ先に観音様の木彫りを彫るラストも良い。定次郎の心の動きの細やかなひだを丁寧に語っていったのが印象的な高座だった。