【談春アナザーワールド ⅩⅤ】「文違い」
立川談春師匠が2010年1月にスタートして、18回にわたっておこなった「談春アナザーワールド」の当時の記録を残しておきたい。きょうは2012年6月の第15回だ。
立川談春「文違い」
新宿の女郎・お杉は、馴染みの客の半公に20両の無心をした。「その親父というのが実の父親じゃないんだよ。育ての親。そのために、私は苦界に身を沈めたの。その親父がやたらと無心にきてつきまとってしょうがない。今度は20両こしらえてくれと。そのかわり、親子の縁を切ってもいいと言うのさ。このまま親父につきまとわれたら、お前さんと幸せになれる保証がないんだよ。手切れ金に20両必要なの。頼むよ」「10両はできたけど、20両ないと駄目なの?」「わかった。ひっかかるカモがいるの。田舎から来る角造という野暮を絵に描いたような男。そいつから、20両絞り取ってくるから、待っていてね。舌先三寸。歯の浮くようなお世辞を言わなきゃいけない。手練手管だよ。お前さんは焼き餅妬きだから、嫌みのひとつでも言われたら、合わないよ。お前さんのことを思って、言っているんだから。行ってくるよ」。
お杉は向こう前の角造の部屋へ。客をバカにしきったような上草履をパタンパタンと音をさせて。「ちょいと、角さん。まだ生きていたんだね?」という言葉に、「バカこきやがって。オラの顔を見ると、すぐに甘えて」と鼻を鳴らす角造。「立ってごらん。足があるね。幽霊じゃないんだ。何遍手紙を書いても、返事が来ないから」「村の者から推挙されて、若者頭になったんだ。秋祭りの小屋のこと。作物の出来具合。忙しくて」「この間、坂倉に上がったろう?私たちの浮き名は新宿で知らない人はいないんだよ。皆にお幸せと言われている。それが、どうして浮気なんてするの?」「あれは浮気ではねぇ。近隣六ヶ村の寄り合いで、村の未来はどうすべぇと話し合った後に、新宿さ行って、騒ぐべぇとなったんだ。俺は断ったんだけれども、角造さんが行かなきゃと言われて。隣村の種次郎が悪いだ。付き合いで皆で行ったんだ。ツラの長い女だった。上見て中見て下見たら、上を忘れる顔だ。馬が鰻をくわえたような顔」。「この人はうわべは野暮の塊だけど、芯は粋なんだから。どこ行っても、もてるんだから。どうして、こんな浮気性に惚れたのかね?苦労の種が絶えないよ!」と、角造の頬をつねるお杉の手練手管。「甘えるのは、二人になってからにしなさい」。
「角さん、私、痩せたろう?」「ふっくらしたな」「痩せたでいいの。苦労しているの。お百度を踏んでいるんだよ。おっかさんの具合が良くないんだよ。寿命なのかと、医者に診せたら、薬を飲ませたら助かるって。人参なの。20両かかるんだよ」「高い!オラの村に来てみろ。馬に荷積みできないくらい買えるぞ」「その人参と違うの。黄色くて、シワシワした・・・」「それは出来そこないだ」「この国じゃぁ、取れない。朝鮮人参なんだよ。それを飲めば、元気になるそうなの。お金、持っているんだろ?」「20両はないだ。15両は持っている。だが、駄目だ。オラの金ではない。村の辰松から預かった金だ。それで、馬を買って、引っ張って帰るだ」「薄情者!」「お前様のカカ様なら、オラにとってもカカ様だ。金は渡したい。だが、辰松に申し訳ない。だが、金を渡さないと、カカ様がおっちんじゃう・・・」。「夫婦の約束はなかったことにしておくれ!馬とおっかさんを一緒にするような男とは夫婦になれないよ!」と、お杉。これを聞いて慌てる角造。「待ちなさい。ここに15両ある。持っていきなさい」「いらないよ!」「出し渋ったオラが悪かった。機嫌直せ。頭下げて、詫びるから、この金を持っていってくんなせい」「頭を下げさせたり、金をこしらえさせたりする働きのある女じゃないけど・・・たった一人のおっかさん。わかりそうなものじゃないか。頼れるのは、お前さんしかいないんだよ。こうしておくれ。コレ、貸しておくれ。キチンキチンと少しずつ返すから」「そうだら、水くさいこと。ワレのものはオラのもの。オラのものはワレのもの。年季が明けたら、ヒーフになる身だ。使ってくんなせい」「ありがとう。嬉しい。人が待っているの」。
戻って来るお杉。「半ちゃん!どうして、悪戯するの!覗かないでおくれって言ったじゃない!口説いているときに隙間から覗いて!笑いを堪えるのが大変だった」「馬のこと、おま!おま!言って。見たくなるよ。凄いツラしているね。色が黒くて顔の裏表がわからない。煙草吸って、煙が出た方が表か。あの里の秋みたいのとヒーフになるの?」。お杉は抜け目がない。「誰のためにやっていると思っているの?半ちゃん、あと5両、足してくれる?」「いいじゃないか、それだけあれば」「値切ったら、後々で何を言われるか、わからない」「大丈夫だよ。無理を言ってこしらえた金だ。使わないで済むんだったら、使いたくない」「お願いだよ。5両、出しておくれ」「15両で何とか話つくだろう?」「きちんとした親父なら話は別だけど・・・わかった!いらない!ただ、私があの親父のために生涯苦労すればいいだけの話。人並みの幸せを望んだ私が間違っていた」と泣く、お杉の芝居の上手いこと。「悪かった。5両、持って行ってくれ」「いらないよ!泣いたから出した、そんな金、貰いたくない」「わかった。悪かった。機嫌、直せよ」「わかってないよ!どんな思いをして、里の秋の顔の男を口説いたか」「謝ります。この通り」「お前さんを謝したり、金をこしらえてもらう働きのある女じゃないけど、いいの?」「おぉ、別に2両包んである。これで身体の元気がつくものでも買え!」「優しい!そういうところが好き。下で待っているの」「行ってきな!」「ありがとう、半ちゃん」。これでお杉は20両を都合できちゃった。
お杉は刻み煙草と長煙管を持って、裏梯子を降りて、狭い座敷に。そこには、30過ぎの苦み走ったいい男が座っている。「芳さん!待った?」「お杉か。すまねぇな。無理だったろう?」「私は命を売ったって、こしらえるよ。あるよ。20両できたから。目の塩梅はどうなの?ちっとも悪そうじゃないけど、何という病気なの?」「どうにも、医者が言うのは内症眼とかいう病気らしい。外から見るとそんなに悪いとは見えないのだが、真珠という薬があれば、この目も治るそうだ。方々当たったが、どうにもならない。お前しか、頼む者がいないんだ」「夫婦の間で水くさいよ。2両、余計にあるから、精のつくものでも食べて元気になって」。「お前のお蔭で、目が瞑れないですむ。じゃぁ、俺はこれで医者へ行くよ」と立ち去ろうとする芳次郎に、お杉が「今は夜じゃないか」と言うと、「目は一刻を争うんだ。金ができたから、すぐ薬を挿してもらうんだ」。「久しぶりなんだよ。一晩くらいいいじゃないか」「女が目には一番毒だそうだ。身体が芯から疲れる」「しみじみ話ができれば、それでいいんだよ。朝一番で帰ればいいじゃないか」「目のことだ。医者が一刻も早くと言っている。目が良くなったら、すぐに戻る。一時も離さないよ」「嫌だ。やっぱり、帰るんだったら、お金は返しておくれ。お金が欲しかったら、泊まっていって」。
このお杉の言葉にキレた芳次郎。「それじゃぁ、この金は返す。色々お世話になりました」。慌てるお杉。「触るな!お前、何なんだ?女房だろう?そんなことで目が瞑れでもしたら、どうするんだ!」「勘弁して。ちょっと甘えたかっただけ。私が悪かった。どんな思いでこしらえたか。お願いだから、お金を持って行って!」「お前に頭を下げられたり、金を作らせる働きのある男じゃないが・・・目が瞑れたら、お前が可哀相だと思って」。「わがまま言って、ごめんなさい。早く行って治して」「立ちづらいな。いいのか?本当に?じゃぁ、コレ、もらっていくよ」「手を引くから・・・ちょいと!ウチの人が帰るから手を取ってやっておくれ」「目が悪いというのは意気地がないもんだ。3日経たないうちに、嬉しい便りがくるよ。一本槍で帰ってくる。風邪ひくんじゃないぞ」。芳次郎は20両を持って、まんまと去って行ってしまった。
表梯子を昇って、二階の手すりから様子を見るお杉。とぼとぼ杖をついていた芳次郎は、杖を放って、待たせておいた駕籠に乗って、四ツ谷の方角へ。「芳さんもヤキが回ったね。堂々と駕籠を付ければいいじゃないか。可愛いね。苦労させたら、罰が当たる」。部屋には煙管と煙草があり、行燈の傍に手紙が落ちている。読むお杉。「芳次郎様。小筆より」。ん?いい手だね。「兄より娘が妾に行けと言われ、嫌ならば50両よこせとのこと。30両はできたと相談せしところ、新宿の女郎お杉とやらを眼病と偽り、おこしらえ下さるとのこと。それが関わりとなり、お見捨てなきよう・・・」。芳さんに騙された!読み終わり、怒ったお杉。「この女にやるんだ!畜生!芳さんだけは、そんな人じゃないと思っていたのに!」。
長く待たされた半ちゃんは退屈で、火鉢の脇の引き出しを開ける。「紙屑だらけだな。ん?手紙があるぞ。お杉殿へ、芳印より?バカだね。もてていると思っているんだな。こういう里にはこういう可哀相な男がいるんだ。読んでやろう。ん?目が悪く、医者から目が瞑れると言われ、真珠という薬が20両するとのこと。相談せしところ、日向屋の半七という馴染み客に、親子の縁切りと偽り、こしらえてくれるとこのこと!?騙しやがったな!」。そこへお杉が現れる。「そこを引っかき回さないで!読まれて困るものが入っているんだ」「オイ、女郎は客を騙すのが商売。お前なんざ、いい女郎だ。いい腕だ」「ポンポン言うんじゃないよ!虫の居所がいいときと悪いときがあるんだ」「てめえに色男がいるのは、ちゃんとわかっているんだ!」「あの人に色女がいるのは、ちゃんと知っているんだ!目が悪いと聞かされて・・・悪くなんか、なんでもなかったんだ!」「こっちは7両騙られているんだ」「私は22両騙られているんだ」。怒った半七とやけっぱちのお杉の殴り合い。「ちゃんと身請けしてから、ぶつなりしておくれ。いっそのこと、殺せぇー!殺しやがれぇー!」。この騒ぎを聞いた角造が喜助に言いつける。「向こう座敷で叩かれているのは、お杉でねぇか。早く、止めてこ!オラのやった金で揉めているらしいが、あれはカカ様の薬を買う金だから!・・・いやぁ、うっかり喋るとオラがいい人だということが、わかりゃぁしないか」で、サゲ。
廓での夫婦約束なんて、所詮おままごとにしか過ぎないという皮肉を、男女関係の多重構造の妙を巧みに描いて滑稽に昇華させた手腕はさすが。特に何人もの登場人物を上手に演じ分け、落語としては珍しいほどに複雑に構築された人間関係の構図と騙しのトリックを鮮やかに描いて気持ちが良い高座だった。