澤孝子「岡野金右衛門の恋」本気で惚れたからこそ、手にすることができた絵図面。二人は来世で添い遂げているだろう。
木馬亭で「日本浪曲協会 7月定席」二日目を観ました。(2021・07・02)
澤孝子「岡野金右衛門の恋」
孝子師匠もおっしゃっていたが、義士伝の演目に「恋」という単語が入るのは珍しい。だが、この演目はポピュラーだ。男の美学がほとんどの義士伝に色恋が混ざってくるのも、また良いではないか。
大石より先に江戸へ乗り込んだ浪士の面々は、思い思いに姿を変え吉良邸の様子を伺っている。そのなかの一人吉田忠左衛門は、本所松坂町の吉良邸の近所に平野屋という名で米屋を出す。番頭が神崎与五郎、手代が岡野金右衛門、飯炊きが矢田五郎右衛門。
この中の岡野は役者のようないい男で、歳は23歳。そこを見込まれて、大切な勤めを任された。吉良の屋敷の絵図面を手に入れよ。大役である。吉良邸の普請をした大工、政右衛門の一人娘であるおよね、17歳を口説いて手に入れよ、という筋書き付きである。
忠義のために、その娘が自分のことを惚れるように仕向けるという役だ。すごい発想だな、と思うのだが、これがまんまと術中にハマる。岡野が米を運んだ初回から、およねはポーッと一目惚れ。以来、米を運ぶたびに、およねは岡野にお茶を出したり、お菓子を出したりしてくれる。首ったけなんである。
でも、これだけでは先に進まない。堀部安兵衛が「絵図面はまだか?」と催促してきた。「まさか、お前も本気で惚れたんではあるまいな?」「まさか、色恋にうつつを抜かす男ではない」。
安兵衛が心得を伝授する。「わかった。だが、恋を仕掛けるのではだめだ。命懸けで惚れろ」「それでは騙すことになる…」「親子は一世、薄縁。夫婦は二世だ。この世で添い遂げられなくても、あの世で巡り合えばよい。惚れ抜け。天に誓って、あの世できっと夫婦になってやれ。死ぬ間際に一心に願えば、叶う」。
岡野は安兵衛の助言を聞き、実行に移す。蕎麦屋の二階におよねを呼び、告白をする。燃やす命の尽きるまで、生涯かけて掴む幸せを、たった一度の今このときにこめて、およねをぐっと抱きしめる。
生きていて良かった。岡野とおよねが堅く誓った夜だった。
そして、岡野は願いを切り出す。「大工の叔父がいて、吉良様の屋敷の絵図面が見たいと言うんだ」。「わかったわ。絵図面は父の手文庫にある」「すまない」「夫婦じゃないの」「来世も夫婦だということを忘れないでくれ」「縁起でもない」。
そして、およねは父の寝間に忍び込み、絵図面を取り出そうと手文庫に手をかけた。「誰だ!」。父が起きてきた。「私よ。米屋の手代の金さんの叔父さんが絵図面を見たいそうだから、見せてあげて」。
ここが大工・政右衛門のすごいところだ。「さては、播州赤穂の…」、胸の内に思ったけれど、娘にはお首にも出さず、「何でもない。黙って、持っていけ」。そして、釘を刺す。「このことは誰にも言うんじゃないぞ」。政右衛門はすべてお見通しであったのだ。親の情けの絵図面~!
絵図面は山科に閑居していた大石内蔵助の元に届き、いよいよ東下り。討ち入りの準備が整った。
本気で惚れて、女性を騙す岡野金右衛門の心境やいかに。そして、その岡野を心底惚れたおよねの一心。さらに、討ち入り本懐の気持ちを飲みこんだおよねの父親の漢気。いやぁ、素晴らしかったです。