【談春アナザーワールド ⅩⅢ】「慶安太平記」

立川談春師匠が2010年1月にスタートして、18回にわたっておこなった「談春アナザーワールド」の当時の記録を残ししておきたい。きょうは2012年4月の第13回だ。

立川談春「慶安太平記~善達の旅立ち」
芝の増上寺に何百という坊さんが集結した。増上寺、伝通院、霊厳寺、霊山寺の4つの寺が25両ずつ、計100両を毎年、京都の知恩院に納めていたが、やがて3年に一度、300両を納めることになった。この年は増上寺が年番だ。「300両を知恩院に届けてもらいたい。誰かおらぬか?」と告げられ、手を挙げさせる。日に25里走って、行きに5日、帰りに5日かかる。もし届けられなかったら、立て替えてもらう。それができなければ、命に代えて詫びてもらう、という。皆、遠慮して、誰も手を挙げるものはいない。「つらい旅ではある。だが、選ばれた己に誉れを感じてほしい。誰かおらぬか?」。すると、一人の男が手を挙げる。「その遣い、拙僧が参る」。善達という大男。「25里駆けられるか?」「30里でもなんでもない。頑張れば40里は駆けられる」「300両なくすと、命はないぞ」「一切、承知した」。ゴマの蠅と称する旅人を襲って、物を奪い、斬り殺す輩がいる。それに立ち向かっていかなくてはならない。

善達は300両を預かり、肌着に縫い付け、出発した。と、途中に一人の男が煙草を吸っている。印半纏を着て、一見すると飛脚風。40過ぎ、50手前という歳の頃だろうか。右の頬に刀傷がある。誰かを待っているようだ。善達はスタスタと歩いていく。向こうは足元まで見下ろす。人相が良くない。ゴマの蠅か?追いかけるなら、追いかけてこい。品川青物横丁で右に折れた。一安心して、鮫洲から六郷の渡しで舟が出るのに乗る。「やれ、安心」と腰を下ろすと、さっきの飛脚風情が座っている。

「坊さん、あっしは池上の本門寺に手紙を2本頼まれたんだ。あっしの方が足が速かったね。一緒に行きませんか?」「どこへ行くのか、知っているのか?」「知っている。300両を知恩院まで運ぶんだろ?行きに5日、帰りに5日。足が速いのが自慢なんだ。日に50里はいける。二人の方が心強いよ。持っているんだろ?懐に300両!一緒に道中しようよ。見込んだ限り、離さないぞ」「ついて来れるものなら、ついて来い!」。

善達は腰帯を締め直し、もう少しで桟橋というところで、飛び上がって、駆けだす。川崎、鶴見、生麦、小安、保土ヶ谷、神奈川、戸塚・・・。善達が一生懸命走る後ろを鼻唄まじりで男が追いかける。「一緒に行こうよ。どう見ても、俺が速いんだ。ここまで来たら、やい、坊さん!見逃さないぞ」「勝手にしろ」「ものわかりがいいね」。富士から清水、そして駿府。朝、増上寺を出て、火の暮れには静岡に着いた。

宿に入る。向こうはピンシャンしているのに、善達はグニャグニャになって倒れた。「湯に入って来いよ」。おそろしく豪勢な膳。「一服盛ってあるとでも思っているのか?大丈夫だよ。飲むか?食うか?よすか?」。二人で盛り上がり、床に就く。飛脚は女中に「姐さん、九つ(午前0時)になったら、明け六つ(午前6時)だと言って、起こしてくれ」と頼む。善達を起こし、支度して、握り飯を持って、「さぁ、坊さん!行くよ」。阿倍川に着く。夜が明けてもおかしくない。おかしい。「女中が時刻を間違えたか?」。しょうがない。川を渡る。

真の闇。蔦の小道という難所。お社で一服つけようと誘われる。「付き合ってくれよ」。煙草の火が見える。待てよ?どうも話が巧すぎる。子分がどこかに隠れているのかも・・・。煙草はやめよう。善達は辺りに気を配る。すると、遥か向こうからエッサッサ、ヨッコラッショノショと4人で荷を担いでいる男たちがやって来る。飛脚風情が立ちあがった。「首尾はどうだ?」「奉納金が三千両」「早く、ふけちまえ」。真の闇の中、善達が問う。「今のは何だ?」「子分だ。実は俺はゴマの蠅の親分だ。だが、懐の300両を狙うチャチなゴマの蠅じゃない。徳川に恨みがあって、紀州から将軍様に運ぶ三千両を奪っちまおうというわけだ」。男が続ける。「頼みがある。俺を旅の連れということで、京都の嵐山まで連れて行ってくれ。尋ねられたら、連れの飛脚の十兵衛と答えてくれ。嫌か?」。

「三千両はどうするんだ?」「この先にある大きな岩の穴の中に埋めちまう」「一人で使うのか?」「子分にも分ける」「俺にはいくらかよこさないのか?」「坊さんも細くないな」「いくらか、やらぁ。10両もやるか?」「駄目だ」「不服か?」「半分よこせ」「これだけの大仕事。三年の月日と人も大勢使っている。10両で勘弁してくれ」「1割はよこせ。300両。300両で手を打つ。命がけの仕事だ。300両よこせ」「御免こうむる。まごまごしていると、斬り殺すぞ。俺は元は信州真田の家来だ」「俺をただの坊主だと思うなよ。大坂方の残党だ!おいしい仕事をおとなしく見ているわけにはいかない。まごまごするな、飛脚!」。斬り込んだ飛脚。今にも斬り合おうという、そのとき、遥か麓から馬の鈴の音。金飛脚が近づいてきた。「来たぞ!どうする?」「一丁、乗らないか?」「人を斬りたくてウズウズしていたんだ」。噺は佳境に入るが、この続きは次号を待て!

立川談春「慶安太平記~吉田の焼き打ち」
金飛脚の小笠原武左衛門を叩き斬って、徳川への奉納金三千両を手にした善達と飛脚の十兵衛。三州吉田(豊橋)で、江戸屋という宿に泊まる。「坊さん、ありがとうよ。ご馳走させてもらうよ。宇津ノ谷峠の下手人が俺たちとは、お釈迦様でも気がつきめぇ」「京都の嵐山まで連れていけば、300両。忘れてはいまいな」。宿の主人が宿帳を持ってくる。「増上寺の僧、善達と飛脚の十兵衛と書いておいてくれ」「お断りしておきますが、偽名がお代官に知れると大変なことになります」。そう言って、番頭は続ける。「一言申し上げねばならないことがあります。宇津ノ谷峠で紀州の奉納金を運ぶ金飛脚が十数人、賊に皆殺しにされたのです。伊豆様が、賊は三州吉田に泊まるに違いないと。宿に泊まった者は一歩も出してはならないと。殿様直々にお取り調べがあるのです」。

「世の中には太い野郎がいるものだな。ツラが見たいものだ」。そう言って、十兵衛が主人を追い払うと、「さすが伊豆様。知恵伊豆だ。驚いた。ちゃんと手が回っている」。そして、十兵衛は「胸騒ぎがする。外の様子を見てくる。必ず戻って来る」と言って、風呂敷を被って、表へ。「どこへ行くんですか?」と宿の番頭に尋ねられ、「吉田橋のたもとの家に、赤紙が付いた手紙を頼まれていたんだ。届けなきゃ」。「お役人の耳に入って、稼業止めになったら・・・」と、十兵衛を表に出さない。すると、主人が「いいです。ウチの半纏を着て出かけて、役人にウチの若い者だと言ってください」。十兵衛が出ていく。

これが一向に帰ってこない。一刻(2時間)経った。「帰って来ませんよ」「どこ行っちゃった?逃げちゃった?どうなる?」「宿屋中一軒一軒、取り調べがおこなわれますよ。そうすると、ウチの宿屋だけ一人、合わない。これをお殿様が許すわけがない。どこに逃げたか、知っているのであろう?白状せい!でも、旦那は何も知らないから、白状できない。白状しろ!存じません!の繰り返し。埒があかない」・・・「拷問を受けますよ。石を抱く。水責め、火責め。矢柄、天秤、俥責め。とどのつまりは瓢箪責め。で、旦那は死んじゃう。42?厄だ。あなたは仕方がない。自業自得だ・・・。可哀相なのは女将さん。33歳。厄だ。子どもが二人。私が四十九日を過ぎたところで、婿養子に入ります。安心して死んでください」「嬉しそうに言うな!」。

また半刻経った。下では旦那がピクピクして、二階では善達がウロウロする。すると、表で戸を叩く音。「開けろ!開けろ!」。飛脚が戻ってきた。酒臭い。「吉田橋にはすぐ行ったんだ。戻ってきた。どうして閉めちゃうの?行灯消すんだ?宿のありかがわからない。しょうがない。橋のたもとのおでん屋で飲んで、オヤジに送ってもらったんだよ!」。これを聞いて、主人が番頭に「馬鹿!お前の方が悪い!お前の了見がよくわかった。あぁ、何にせよ、戻ってきて良かった」。「でも、あの飛脚、ハバカリに入ったきり、出てこないですよ」「数さえ合ってりゃぁ、いいんだ」。

やがて、カチン!ギー、バタン!と音がして、十兵衛が便所から出てくる。トントントンと階段を昇る。「坊さん!狸寝入りはないだろう!」「どこ行っていたんだ?」「大変だぞ。野道、畦道、山道、びっしりと役人が見張っている。どうにも猫の子一匹逃げ出せないよ。袋の鼠だ」。そして、十兵衛が言う。「吉田の宿に火事があるから、その隙に逃げちまおう」「どうしてわかるんだ?」「火事、仕掛けてきた。竹の筒の中に火薬が入っている。大坂城落城のみぎりに使った、竹蝋河童尻軽便地雷火ってんだ。源空寺っていう寺があったから、縁の下に忍び込んで、こいつを50本並べて、火を付けてきた」・・・「宿場の入口にあばら家があって、爺さんと婆さんが寝顔で寝ていたから、家に3本仕掛けてきた」「それじゃぁ、年寄りが可哀相だ。逃げだしたとしても、乞食同様だ」「大丈夫。爺さんの首に5両結わいておいた。この二人は幸せに暮らす」・・・「それから、この宿屋の便所に入ったふりして、店の下に30本仕掛けた。右隣は油屋。左隣は薪屋だ。燃えるぞ!早くしないと、焼け死ぬぞ!」。

田舎の夜中、シーンと寝静まっている。しばらくすると、タンタンタン!と音がする。「火事だ!」「源空寺!」「逃げ出すぞ!」。半鐘の代わりに太鼓や木魚が鳴る。ジャンジャン、ドンドン、ポックリコ。橋のたもとの老夫婦。「婆さん、源空さんが火事だよ。坊主が行火でも、ひっくり返したか?」と爺さん。「久しぶりのいい火事。こんな綺麗な火事はみたことがない」と婆さん。「寒いから閉めろ。風邪ひくぞ」。縁の下から火が。「うちにも火事の卵がいたよ!」。宿屋の縁の下の地雷も火がついた。地鳴りどころの騒ぎじゃない。「火事です!逃げてください!」「坊さんは?」「もう、いない」。宿場全体が阿鼻叫喚。泣き出す。叫ぶ。大変なパニックだ。

そのとき、知恵伊豆と呼ばれた松平伊豆守は馬上から、遥か彼方に旅支度をして火の粉を避けながら、逃げていく坊主と飛脚を見つめていた。「ことによると、あいつらの仕業かもしれん。あれを追いかけよ」。善達と十兵衛は逃げる。それを追う。逃げた。追った。逃げた。追った。ようやく二人は、追手を振り切り、「もう、大丈夫だ」と一服すると、傍から「しばらくお待ち願いたい」と声がした。その人物こそ、誰あろう、由井正雪。

一昨年11月に横浜にぎわい座で聴いて以来だ。こうやって、通して聴くと、ストーリー云々ではなく、耳に心地よい音楽を聴いているような感覚に陥る。「慶安太平記」全体からしたら、ホンの一部にしかならないのだろうが、ここの部分しかできないと師匠は言っていた。家元が苦労して浪曲から掘り起こして拵えた噺を、きちんと受け継いでいくのは、この立川談春しかいない。