【浪曲映画祭】「日本侠客伝 雷門の決斗」(1966・東映)高倉健の侠客の漢気に痺れた

ユーロライブで「浪曲映画祭 情念の美学」2日目を観ました。(2021・06・26)

「日本侠客伝 雷門の決斗」(1966年東映、マキノ雅弘監督)

堅気になっていた高倉健が、自殺した父親の敵の何度にもわたる横槍に耐えに耐えるが、最後には堪忍袋の緒が切れて、仇討に乗り込み、見事に果たすというストーリーが単純明快ながらも、カッコよくて面白い。

村田英雄が歌う「人生劇場」が大ヒットしたのをきっかけに作られた1963年公開の「人生劇場 飛車角」から、東映任侠映画路線がスタートしたと、この上映後に映画評論家の山根貞男さんが言っていたが、この映画にも村田英雄が浪曲師として出演している。

忠臣蔵にも通じる、悪人の我慢に我慢を重ねて、善人が最後に立ち上がり、見事に仇討を果たすパターンは、東映の得意技として任侠映画路線を支えたという。「我慢劇」とも呼んでいた。

「緋牡丹の竜」と呼ばれた女優、藤純子も高倉健演じる信太郎の恋人役として出演しており、その美しさは現代の女優さんとは違った艶っぽさがあり、とてもいい。ロミ山田演じる女剣劇の座長も、男っぽい女性の魅力というのだろうか。とても良かった。

あらすじは以下の通り。

舞台は大正15年、浅草の興業街。3年前までは、聖天一家と観音一家の抗争が絶えなかったが、今は聖天一家の平松源之助(内田朝雄)が、堅気となって平松興業をおこし、朝日座を中心に芝居を打っていた。

ところが観音一家が人気のある朝日座の乗っとりを図り、源之助に横槍を入れてきた。そんな時、船乗りになっていた源之助の息子、信太郎(高倉健)が久方ぶりで帰って来た。信太郎には、千沙子(藤純子)という恋人がいた。楽屋番をしながら源之助の陰の力となっている老侠客・中川喜三郎(島田正吾)の娘だ。その夜賑やかな酒宴が開かれたが、どうしたことか源之助は観音一家に朝日座を譲渡し、自殺してしまった。

信太郎は平松興業の二代目を継いだが、観音一家の妨害は露骨になり、やっと大正館において興行初日にこぎつけたのを、あっさりつぶされてしまった。いきりたつ信太郎は喜三郎に諭される。そして、当時日本一の人気浪曲師だった桜井梅芳(村田英雄)に友情出演してもらうことに成功した。

しかし大正館はまたもや観音一家の横槍が入り喧嘩沙汰となり、一カ月の営業停止を言い渡されてしまう。さらに信太郎は梅芳の所属する大浜興業から違約金三千円を請求され、平松興業の正一(待田京介)、弁吉(藤山寛美)、栄作(井上昭文)らと共に奔走するが駄目であった。そんな時、亡き源之助の客分銀次(長門裕之)が、観音一家の噂を聞いて旅から戻ってきた。

銀次は彼を惚れぬいていた女剣劇一座の座長・歌江(ロミ山田)にさりげなく別れを告げると、喜三郎と観音一家に殴り込んだ。銀次は代貸の青木(天津敏)を倒したが警察に捕えられ、喜三郎は親分・風間(水島道太郎)の拳銃に倒れた。

それまでじっと耐えていた信太郎は、最後の挑戦と、「大震災復興三周年記念興業」を開いたが、またもや観音一家に邪魔され、もはやこれまでと、形見の拳銃をふところに、弁吉と出かけるのだった。