【談春アナザーワールドⅤ】「宿屋の富」
立川談春師匠が2010年1月にスタートして、18回にわたっておこなった「談春アナザーワールド」の当時の記録を残していきたい。きょうは5月の第5回だ。
ネタ出ししてあった「宿屋の富」に関連したギャンブルに関するマクラが興味深かった。30年の競艇人生の中で、2度、「これが幸運の女神だな」と思った経験をしたことがあるという。二つ目になってすぐの23、4の頃だった。1万円買った券が70数倍ついて、100万円になった。ビックリした。でも借金は100万円あっても足りない。もっと増やさなくちゃと思った。レースの数を減らして大きい金額で勝負するのがコツだ。決勝戦の12レースまでに増やしていく。11レースのベルが鳴る時に1万円つぎ込んだ。これが当たった。80万円になった。
そして、最終レース。オッズを表示する掲示板に、4-6の表示だけが大きく見えた。20倍ちょっとである。「コレ、4-6?」。100万つぎ込んだら、2000万円になる。いつも満員のトイレに入ると、誰もいない。落ち着こうと、顔を洗う。おばさんの声がする。「一着は④、二着は⑥」。「え!?幸運の女神はおばさん?幻聴?」。30通りあるのに、4-6しか出てこない。ここからです。当たったらどうなるんだ?麻雀放浪記のラストシーンが頭に浮かぶ。こんな金を貰うために、落語家になったんじゃない。締め切りまで、あと10分。考える。4-6と信じきっている。お金は180万円ある。「芸に一攫千金はない」という言葉と、「買ってしまえ!」というささやきな狭間で迷う。空気の色まで変わる。
ワケのわからない当て方は嫌だ!駄目だ、買っちゃ!自分が愛しくて、抱きしめたくなった。これは罠だ。神様が笑う。4-6は来ない。神様に、「当たったろ?ざまあみろ」と言うために、絶対来ないだろうという舟券を100万円買った。配当を見て、驚いた。6000万円。そして、レースの結果が出た。4-6だった。自分の買った舟券はドンジリだった。幸運の女神に後ろ髪はないと言うが、ついているかもしれないなと思った。ただ、それを掴めるか、どうかなのだと思う。アレ、当たっていたら、どうなっていたんだろう?興味深いマクラだった。
立川談春「宿屋の富」
一文無しの男が、宿屋の主人にホラを吹く場面。先祖が働き者でね、金蔵にいくらあるのかわからない。使えば使うほど、増えて困るんだ。大名に3万両、商人に5万両、貸すと、利息を付けて返してくるんだ。断ると、放り投げて帰っていくから困ったもんだよ。玄関は利息の山。三月で数え切れない。お金はあり過ぎるのはよくないね。先日は泥棒が10人、入ったんだ。金がほしいんだろ?と、金蔵の鍵を渡したんだ。意気地がないねぇ、朝起きたら、たったの80箱しか持っていけないんだ・・・。この噺の前半の笑わせどころだと思うのだけれど、志ん朝師匠そのままに終わっているのが残念だった。それは、湯島天神の富の抽選風景、「私は二番富の500両が当たることになっているんです」という男の妄想で盛り上がるところも同様だ。
一文無しの男が一番富の当選番号が貼り出されているのを、手元の富札と見比べる場面が、後半の見せどころ。「これだよ。当たりっこないんだ。一応、見てみようじゃないか。子の千三百六十五番。当たらないもんだね。金が金を呼ぶというが、本当にそうだ。子の千三百六十五番。惜しいねぇ。悔しいね。一番違っていても、駄目なものは駄目。こっちは、子の千三百六十五番。ちょっとだよ。ん?ん?」。目をこすり、子からひとつひとつの番号を無言で確認して、腰を抜かすところ。「アタッタッタッタ!千両、当たった!懐がない!」。この場面の男の心理描写は実に巧みである。でもなぁ、こういう噺は独自のギャグセンスを盛り込んでほしい。この手の滑稽噺に談春師匠の開拓の余地あることがわかっただけでも、価値のある「アナザーワールド」であったというところだろうか。