【談春アナザーワールドⅥ】「子別れ」

立川談春師匠が2010年1月にスタートして、18回にわたっておこなった「談春アナザーワールド」の当時の記録を残していきたい。きょうは6月の第6回だ。

今年1月からはじまった「アナザーワールド」も、この日が一区切り。これまでほとんど手をつけなかった演目のネタおろし、正しくは蔵出しという表現がいいのかも知れないが、それを6回にわたって演ってきたわけだが、ようやく見えてきたものがある。名人を嘱望される談春師匠にも、合う演目と、合わない演目があるということだ。円生リスペクトという形となった「鰍沢」、「火事息子」、「猫定」は、師匠なりの演り方で聴かせてくれた。後半は志ん朝リスペクトとなったが、「お若伊之助」はストリーテラーとしての手腕を発揮して良かった。しかし、前回の「宿屋の富」、そして今回の「船徳」はいまひとつだった。上手いから、それなりに聴かせる。だが、噺家・談春の魅力を引き出すまでには至っていない。これは噺そのものが師匠の肌に合っていないのだと思った。それがわかっただけでも、実りのあるトライアルではなかったのではなかろうか。

立川談春「子別れ」(下)
一席目に比べて、二席目の素晴らしかったこと!「やはり、談春は凄いやぁ!」と思わせてくれる、鳥肌ものの「子別れ」だった。僕自身は一昨年の正月に銀座ブロッサムで通し口演を聴いて、家元の型を下敷きにしながら、独自の「子別れ」を創出していることに感激したのを覚えている。大人びた生意気な口を利く、逞しく育った亀が、最後の鰻屋でワンワン泣いているのが印象的。そして、小遣いで買った青鉛筆で描いた空。「空はお父っあんなんだ」という台詞が泣かせる演出だ。家元版「子別れ」を見事に昇華させた素晴らしい高座だった。

茶室をこしらえたいという旦那のお遣いで、棟梁となった熊のところに番頭がやってくる。木口だけでも見に行こうと、木場に出かけるときも、熊は隣の婆さんに声を掛けていく。「大変だねぇ、男の一人暮らしは」「身から出た錆ですよ」「おカミさんはどうした?」「元は吉原にいた女でしたがね、手に取るな、やはり野に置け蓮華草ですよ。連れてきたら、女一通りのことが何もできない。安い馬を買ったようなもので、寝てばかり。繕い物ひとつできないんですよ。そのうち、どこかの男と駆け落ちしちゃいましたよ。えらい目に遭いました」。そして、番頭に礼を言う。「誰もいなくなって、浴びるほど酒を飲むようになって、意見する人もいなくなった。言ってくれているうちは、まだ望みがあるんですね。そんなとき、番頭さんが懇々と意見をしてくれた。何を今さら、とは思ったが、自分で自分を信用できない。番頭さんは一生懸命、言ってくれた。好き勝手なことして、よっぽどみっともなかった。額に汗して働いて、旦那に気にいって頂いて。番頭さんは命の恩人だ」「すまないね。私も肩の荷が下りるよ」。

「どん底に落ちても、人間なんか、なかなか改心できない。酒を断つことが、なかなかできないもんだ。何年になる?」「3年になります。照れも、隠しもしない。ただ怖いんですよ。酒とか女とか博打とかは全く縁のない生活で、喜んでくれる人、その笑顔が嬉しいんですよ。頭、おかしかったんですね。あの頃があったから、今がある。滅茶苦茶だった」「そんなことじゃぁ、駄目だよと意見はしない。あれがあったから、もう戻らないんだよ。人間というのは無駄なことは何ひとつないんだ。今は酒をやめて、仕事をしている。おカミさんをもらってもいいんじゃないの?何で、もらわないの?おみつさん・・・いい女だったね」「あの時はわからなかったんです。当たり前だと思っていた。最初に一番いいカミさんをもらって、次に一番悪いカミさんをもらっちゃった」「未練はあるのかい?」「ありますね」「男というのは、そういうこと言わないものだよ」「あんな、いいカカァはいなかった」「未練があるから、カミさんをもらわないのかい?」「そうではないです。でも、酷い目に合わせたなぁ」。

「どうしているの?」「知らないです。ガキと一緒に同じ空の下にいるでしょう」「捜さないの?」「捜さないです。一人のわけがない。新しい亭主ときっといますよ、あれだけの貞女」「亀ちゃんはいくつだい?」「あのとき、7つだったから、10ですね」「ああいうおカミさんだから、2人でいるんじゃないのかい?」「どのツラ下げて、迎えに行くんですか?」「思い出すんだろ?」「朝昼晩に思い出しますね。酷いことを言った。泣いていた。銭なくても我慢してくれた。ガキは不思議ですね。思い出せない。そのかわり、夢に出てくる。メソメソ泣いているだけの亀が歯向かってきた。『男の子は男親につくっていうけど、私はこの子を連れていく。いいかい?』って。開けっ放しで出て行った。『出てけ!ざまぁみやがれ!声をかけてくるな!』。強い女でした。一遍も振り向かなかった。ガキだけ何度も振り返って、目が合った。玄能を風呂敷に包んで、涙ぐみやがって。その夢はよく見るんです。普段は思い出さない」「真正直に戻すために、出て行ったのかもな。もし迎えに行っていたら、取り返しがつかないことになっていたかもな」。

二人が歩いていると、一人の子どもがぶつかった。「痛い!」「そっちが大人なんだから、避けろ!」「何だ、その言い草は!」「あっ、お父っあんだな!」「亀か!」「そうだよ。忘れたか?」。思わぬ親子の再会に、番頭は気をきかせて、「話があるだろう。いいよ、先に行くから」と行ってしまう。「大きくなったな!」「他に台詞はないのかよ!乞食の子だって、3年見なけりゃ、大きくなるぜ!」「元気か?」「元気だよ。すぐ近所なんだ。おっかさん、いるよ。会っていく?」「いいよ」「わかるよ」「お父っあんは可愛がってくれるか?」「お酒の毒がとうとう頭にきたの?お父っあんは、お前だろ!大工の熊さん」「今度、新しくお父っあんができたろ?」「重症だな」「子どもが先にできて、親が後にできるなんて聞いたことないや。八つ頭じゃないんだから」「夜、寝てから入ってくる小父さんだよ」「わかるよ!おっかさんに新しい男がいるか?ってことだろ?いないよ!おっかさんは、そんな女じゃない。みくびらない方がいいよ。『亭主はセンので懲りております』って、よく話するよ。のべつする」。

達者な亀は続ける。「でもね、言うんだ。『お父っあんが悪いんじゃない。お酒がいけないんだ。お酒が頭をおかしくしたんだ』って。吉原の女と一緒にいるのかい?いないの?どうしたの?ハッキリ言いなよ!男同士じゃないか!」「女狐はとっくに、他のおじちゃんのところに行っちゃったよ」「わかるよ」「二人きりか?どうしているんだ?」「近所から仕事もらって、着物縫ったり、オイラもお手伝いしたりしてる。昼間は学校に行かせてもらっているんだ」「勉強しなきゃ」「お父っあんは職人としては一流だったけど、学問がないから、人間として駄目だったって。勉強しなきゃ、駄目だよ」「評判悪いな」「運動と絵を描くのが上手いんだぜ」「お父っあんは、新しいおっかさんはいるのかい?」「いないよ」「へぇー。お酒臭くないね」「断ったよ」「本当にやめたの?」「3年、断った」「本当?おっかさん、喜ぶぜ!行こう!」。

家に父親を連れて行こうとする亀の額の傷に気づき、熊が訊く。「亀、ここ、どうしたんだ?」「気づいたな」「傷か?」「これはちょっとワケありだよ。ベーゴマ、オイラ、強いんだ。斎藤さんの坊っちゃんが悔しがって、投げつけたんだ。裂ける音がしたよ。血が出た。むこうは卑怯だから、ワァーって泣いて、帰っちゃった。血がダラダラ出たよ。皆、帰っちゃった。そうしたら、むこうは親父を連れてきた。むこうは困った顔していた。井戸端で洗ったら、血が止まって、家に帰った。そうしたら、おっかさんが怒ったんだ。『誰にやられたんだ?片親だからって、馬鹿にして』。斎藤さんの坊っちゃんだって言ったら、『痛いだろうけど、我慢しろ』って」「自分の腹を痛めた子どもだろ!よくそういうことが言えるね」「斎藤さんは一番のお得意様なんだ。しくじったら、母子二人路頭に迷うって、ギュッと抱かれて泣かれたんだ。オイラもワァーワァー泣いた。どう思う?こういう話、聞いて?痛くねぇんだよ。偉くねぇんだよ。でも、寝て起きたら、物凄く痛い。医者に診てもらったら、アバラに2本、ヒビが入っていた」。

熊が言う。「小遣い、やろうか?ホラ、やるよ」「何、コレ?50銭だぜ。釣り持ってないよ。本当に?50銭くれるの?昔、お父っあんに『小遣い、頂戴!』って言ったら、怒ったよな。それだけは覚えている。人は苦労するべきだな」「大事に使えよ」「鉛筆、買っていい?近所からもらう小さいのじゃなくて、たまには長い鉛筆を削りたい。色鉛筆、そうだ、青鉛筆を買うよ。そして、絵を描く。空を描きたいんだ」「描け!描け!江戸中の空、描いちゃえ!」。胸に迫る場面である。「鰻、好きだったよな?食っているか?」「馬鹿じゃないの。青鉛筆も買えないのに、鰻なんか食えるかい!」「明日は日曜だ。何もない。一緒に食いに行くか?明日、ここで二人で待ち合わせだ」「おっかさんは駄目なの?」「内緒だぞ。小遣いも内緒だぞ。今だけ、ちょっと内緒だ。男の約束だぞ!」「わかるよ!」。小走りに亀が去っていく。「えらいガキに育ったなぁ」。

亀が帰宅する。母親は風呂敷包みを渡して、お遣いを頼む。「道草しちゃ、駄目だよ」。そこに50銭が転がっているのを見つける。「待って。帯の間から、何か落ちたよ。何、コレ?どうしたの?」「しまった!」「どうしたの?コレ?」「それは拾ったのではないですよ。弱ったなぁ。アタイのだから、返して。大丈夫、大丈夫。おっかさんが思っているようなことじゃないから」「言いなさい!」「貰ったの!」「誰に?」「言うなと言われているの。それで青鉛筆を買うの」「そこ、開けてごらん。持っておいで。ここに座りな。この玄能の前で言えるの?本当に貰ったのかい?嘘つかないで、言ってごらん。この玄能で叩き割るからね!」。亀は仕方なく答える。「大丈夫なの!50銭なんて、見ず知らずの人がくれるわけないでしょ。言っちゃいけないと言った。誰がくれたか、わかりそうなもんだけど」「お父っあんがくれたの?誰?」「薄情だね。忘れたの?元の亭主。ダイクマさん!」。

母親の態度が一変する。「会ったの?お酒飲んで、汚い格好してたんだろ?」「お酒、やめたんだって」「やめたの?ふーん」「おっかさんはやめさせることができなかったけど、吉原の女はいいおカミさんなんだね」「吉原のカミさんは出て行ったって」「お父っあん、一人なの?」「半纏、ドッサリ着て、お金もまだまだ持っていたよ」「おっかさんのことは訊いていた?」「聞いたけど、一切教えない!鰻をご馳走してくれるって。行っていいかな?」「覚えていてくれたんだね」「青鉛筆、買いに行っていい?絵を描くんだ。空の絵を描くんだ」。母親は徹夜で息子の着物を縫い上げ、翌日、送り出す。「行ってきます」「いっぱい、ご馳走になっておいで。行っておいで!」。

鰻屋の二階。熊は上機嫌だ。「きょうはお前がお客様なんだ。腹がはち切れるほど食え!」。「鰻の丼を2つ。酒は飲まない」「おみやでイカダを二人前、お願いします!」お新香でつなぐ。「鰻巻き、頼むか?」。一方、母親の方は気が気でならない。「あら、絵を忘れて行ったよ。お父っあんに見せたいって言っていたよ。行ってこようかね?」。鰻屋へ。「ごめんください。ウチの悪さが・・・」「呼びましょうか?亀ちゃん!」「亀!」。階段を上がっていく母親。「お前、どなたにご馳走になっているの?ご挨拶しなきゃって、かえって迷惑じゃぁ?」「おっかさんじゃないか!」。ひたすら鰻を食う亀。「何で、おっかさんが知っているんだよ!」。知らんぷりして、鰻を食う亀。「お茶、もらってきまーす!二階に上がった方がいいよ」。亀は下に降りて、元夫婦二人にしてしまう。

「ごめんくださいまし。お前さんでございましたの。存分にお小遣いを頂き、鰻までご馳走して頂くなんて、お礼を言わなくては、と。随分、ご立派になられて・・・」「昨日ね、亀に会ってね、鰻食うか?って言ったら、食うって。内緒だぞ、って言ったのに。お喋りでしょうがないな」。熊は照れ臭そうに、この台詞を何遍も繰り返す。そして、切り出す。「ありがとうございます。こっちから先に礼を言わなきゃいけない。色々と済まなかったね。女手ひとつで育てる、並大抵のことじゃぁない。今の俺にはわかるよ。お前には散々苦労をかけた。駄目な父親だった」。謝る熊。

それに対して、元女房は言う。「お前さんに、コレを見てもらおうと思って」「空を描くって言ってたな」「今朝、聞いたの。『亀、コレ、何?』。そうしたら、『これはお父っあんだ』って。一遍、建前で亀を肩車して上を見上げたら、こういう空だったって。お父っあんは偉いんだと思った、だから空を描いたって」。熊が答える。「わかった。折りがあったら、言おうと思っていたんだ。俺から言えた義理じゃないけど、元の鞘に収まってくれないかな?お前も独り身。俺も独り身。もう一遍、親子三人、一緒に暮らせないかな」「私も、それができたら、そんな嬉しいことはないです。亀、おいで!お父っあんと一緒にまた暮らせるよ」「ひもじい思いをした、この子が一番可哀相だった」「一緒に住むからね」。さっきまで、生意気な口を利いていた亀が泣きじゃくっている。「ピーピー泣くんじゃねぇ!また、小生意気なこと、言え。もうお父っあんは、どこにも行かないぞ。お前が一番苦労したんだもんな」。亀は号泣だ。「子は夫婦の鎹だと言うが、本当だなぁ」「だから、玄能で打つって言ったんだ」で、サゲ。

いやぁ、感動である。一昨年に談春師匠が「青鉛筆の子別れ」を演ったとき、それを聞いた家元は「談春が俺の子別れをパクリやがった」と激怒したそうだ。ところが、その後、「俺の子別れを受け継いでくれる奴はいないかな」と言い出したという。弟子は皆、演りたがっていたのに、演れなかっただけ。談春師匠が「本当に演っていいんですか?」と聞いたら、「いいよ」と快諾してくれたという。こういう素晴らしい噺は、素晴らしい演者に受け継がれてほしい。一昨年から一段と素晴らしい談春落語に磨かれた「子別れ」に感激した落語会だった。