【談春アナザーワールドⅢ】「猫定」

立川談春師匠が2010年1月にスタートして、18回にわたっておこなった「談春アナザーワールド」の当時の記録を残していきたい。きょうは3月の第3回だ。

「猫定」を初めて聴いた。青蛙房の「増補落語事典」によれば、「六代目三遊亭円生の独壇場だった」とある。地味な怪談噺だが、談春師匠の手腕によって、大変興味深く聴けた。ここまでのアナザーワールドのネタ出しは「鰍沢」、「火事息子」であったので、他の演者との比較ができたが、今回は比較の対象が物故者だから、何とも言えないが、やっぱり上手いわ、談春師匠。実に巧みな情景描写に舌を巻いた。演り手のいなくなったこういう噺を、円生リスペクトという形で挑んでいく姿に好感を持つ。4月は「お若伊之助」、これは志ん朝リスペクトになっている。大ホールで十八番を演る師匠ではなく、こういう小さな小屋で挑戦をする談春師匠を見るのは大歓迎だ。

立川談春「猫定」
八丁堀の玉子屋新道に、魚屋の定吉という男がいた。表向きは魚屋だが、俗に言う遊び人、博打打ちが本業だ。ある日、定吉が朝湯の帰りに近所の居酒屋でチビチビ飲んでいた。すると、店の主人が盗み食いをした黒猫を懲らしめている。「四足を縛って、川へ放り込んでやる」という主人に、定吉は「可哀相だ。俺が引き取る」。「やめた方がいいですよ。性質が悪い猫だ。化けますよ」「いや、承知の上でもらおう。立派な猫じゃないか。差し毛が一本もない。真黒だ」。定吉は、主人に「口利き賃だ。受け取ってくれ」といくらか渡して、帰宅する。

帰ってきた定吉は女房に、「土産を買ってきた」。懐から黒猫が飛び出し、台所の方へ走る。「わたしゃ、猫が嫌いだよ。家を汚すもの」「可哀相な猫なんだ。可愛がってやろうぜ」。女房が湯に行ってしまうと、定吉は猫に話しかける。「おい、お前は人間で言えば幸せ者だぞ。そうだ、名前を聞くのを忘れたな。クマ、タマ、ミケ・・・。やっぱり、クマにするか。クマでいいか?」「ミャォー」「命あるもの、人間も猫も一緒だ。命の恩人だぞ。お前、博打を知っているか?教えてやる。賽は魔よけだ。魔物に、魔よけかぁ。見てごらん。インドの動物の角で、お釈迦様がこしらえたんだ。博打を考えたのもそうだ。人が集まる、銭が集まる、そこで説教をする。寺銭というのはここから来ているんだ。お釈迦になるっていうのもそうだ。賽の目の一は天、六は地を表し、東西南北が二三四五だ。チョボイチというのもあるが、丁半は二つの賽を使うんだ」。博打の蘊蓄を詳しく説明する件は、いかにも師匠らしい。

湯呑みの中に賽を入れて、「丁か、半か、言ってみな」と、定吉が猫に問いかける。「ミャォー」。「俺は丁だ。お前は半か」。で、開けてみると、中は半。「もう一枚だ。どうする?」。すると、猫は今度は「ミャォー、ミャォー」と二つ鳴いた。「お前は丁か?俺は半だ」。で、中は丁。「面白い!ニャゴ半、ニャゴニャゴ丁か!これは恩返しか?」。定吉は猫を懐に賭場に出かける。猫の鳴き声で目を当てる。どんどん儲かる。つきあいが大きくなる。定さんと呼ばれていたのが、兄ィになり、やがては親分とまで呼ばれるようになる。必ず猫を連れていくので、猫の定吉、猫定と呼ばれるようになった。

ところが好事魔多し。定吉はふとしたことから、江戸にしばらくいられなくなってしまった。猫を置いて、旅に出た。留守中、女房のおたきは若い男を引き入れて浮気をする。やがて、定吉が戻ってきた。猫を連れて勝負に出かける。「今晩は泊まりになるかもしれない」「泊まるなら、泊まる。どうなの?」「泊まるよ」。すると、女房は浮気相手の若い男のところへ手紙を書いて、相談する。「亭主が邪魔だ。いっそのこと、あの人を片付けてしまわないか?そして、お前さんと夫婦になる」。この言葉に間男は喜ぶ。「夫婦に?本当?」「お前さんを離したくないんだよ」「嬉しい!あっしが殺ります」。「愛宕下の藪加藤にいるよ。門番が知り合いだから。鯵切り庖丁を持っておいき。しっかりやっておくれよ!」「心配しなさんな。いい便りをお届けします」。

一方、定吉はこの日に限って猫が鳴かない。金はどんどん減っていくばかりだ。見切りをつけて、勝負をやめた。「帰るわ」。雨が降ってきた。「傘を一本、貸しておくれ」。新橋に行って、北川という鰻屋でチビチビと飲んだ。だが、猫は何も食う素振りがない。「早く帰って、マタタビでも嘗めさせるか。折りにしてくれ」。提灯を借りて、勘定を済ませ、猫を懐に入れて、新橋から銀座、八丁堀へと歩く。雨がひどくなってきた。采女ヶ原に出た。小便がしたくなり、立ち小便をする。そこに、例の間男が狙いを定めて、鯵切り庖丁で背から胸を思いきり突いた。とどめとばかりに、喉も突く。とたんに、懐から猫が飛び出して、逃げていった。

「しくじっちゃいないだろうね」と、間男の帰りを待つ女房のおたき。引き窓がひとりでに開いて、黒い塊が飛び込んできた。凄い音がする。妙な声があがる。「何の音かね?」と、月番の源兵衛さんが見に行く。糊屋の婆さんのところを訪ねると、達者に針仕事をしている。「凄い音がしたけど、変わりはないかい?」「この分だったら、明日はいい天気だよ」。そして、定吉親分のところへ。「こんばんは!」と、戸を開けると、誰もいない。「留守?でも、火鉢に火がついているよ。姐さん、台所で寝ているよ・・・」。おたきを起こしてビックリ。血みどろになって死んでいた。

愛宕下の藪加藤からの帰り道、采女ヶ原で定吉親分が刺し殺されたとの知らせが届く。背中を突かれ、喉元を庖丁で刺されていた。脇で若い男が喉をかきちぎられて死んでいた。役人が検死し、定吉の死骸は女房の死骸と一緒に棺桶に座棺された。通夜。源兵衛が仏を前に手を合わせて言う。「親分!いい人でした。助けてもらいました。仏様を前にして言うのもなんですが、おかみさんは浮気性だった。長屋の者は皆、知っているよ」「変なこと言うなよ!きょうはよせ!仏の耳に届くよ。二人は同じ時に死んだんだ。三途の川で夫婦でいるよ」。

皆がコックリと居眠りをしていると、ポンポン!という音がする。棺桶の蓋が開いて、親分の亡骸が立ち上がり、目が開いた。怨めしげに辺りをジーッと見渡す。おかみさんも同じ動きをする。驚いた長屋の連中は「お線香を絶やしちゃいけない。仏が迷う。ウァー!」。一人逃げ、二人逃げ、みんな逃げ出す。そこへ、按摩の三味市が療治の帰りにお通夜にやってきて、線香をあげ、念仏を唱える。「見えないことはおそろしい」。仏が立ち上がって、睨みつけ、時々ニヤニヤと笑う。凄い!仏に魔がさす、とはこのこと。「二度と見られないぞ。値打ちがある。なまじの見世物じゃぁ、かなわない」。

そこに信州松代の浪人、真田某という男がやって来た。「お迎え僧が来ている。按摩か?三味市、あっぱれ。ご苦労だな」「一人で、ここでお通夜とは、長屋の者は薄情だ」「それには訳があるんだ。夫婦の二つの棺桶の蓋が開いて、仏が立ち上がって、お前を睨みつけている。たじろがずに、あっぱれ!もののふの按摩だな」。これを聞いて、三味市が目を回して、倒れちまった。「按摩が目を回すなんて不都合だ」。ここの台詞、円生師匠は「生意気だ」と演ったらしい。

棺桶が並んでいる向こうは壁で、隣が空家になっている。下のところに紙で腰張りというのがしてある。これが、ペラペラッと時々動く。すると、仏様が首を振ったり、手を上げたりする。これを見すました真田某は、刀を抜いてプツッと突き指す。「ギャァ!」という声がする。仏様は、棺桶の中に納まった。「怪物を仕留めたによって、中を確かめていただきたい」。長屋の連中が「ひのふのみ!」と戸を開けると、皆揃って尻餅をつく。空家からは唸り声が聞こえてくる。提灯で中を照らす。壁際に黒い塊が・・・。「猫だ!」。すでに息絶えている。よく見ると、両手に何かを握っている。二つの人間の喉仏だったという。定吉への恩返しに猫が仇討ちをしたに違いない。時の奉行は25両という金を出して、両国の回向院に猫塚を建てたという。猫塚由来の一席でした、でサゲ。聴かせるテクニックを持った談春師匠ならではの、素晴らしい高座だった。