【談春アナザーワールドⅡ】「火事息子」

立川談春師匠が2010年1月にスタートして、18回にわたっておこなった「談春アナザーワールド」の当時の記録を残していきたい。きょうは2月の第2回だ。

前回同様、この日にネタ出ししてある「火事息子」に関して、ありし日の志ん朝・談志の思い出を語った。「年忘れ東横落語会」でのこと。談志は「慶安太平記」、志ん朝は「火事息子」をネタ出ししていた。談志が言う。「『火事息子』もなぁ、サゲもいいけど、もうひとつドラマがあるといいんだけどなぁ」。それに対して、志ん朝も「そうなんだよぉ」。同意した志ん朝を見て、談志はニヤリと笑って高座に上がった。

8割以上が志ん朝ファンという客席に向かって、「あとは志ん朝が一生懸命演るだろうから、あいつに任せて・・・」。普段はライバルのことを口にしない談志の言葉に、客席がドカンと受ける。そして続けて、「だけど、楽屋で志ん朝が言ってたよ。あんまり面白くないって」。その後に上がった志ん朝は「前方は熱演で・・・」。高座を下がった談志が髭をさすりながら、嬉しそうにしている。談春師匠いわく、「かわいくなっちゃいましたね」。そして、志ん朝の「火事息子」は聴かずに、談志は「帰るぞ!」と楽屋を去ったという。冒頭に藤三郎の夢を出す演出は、志ん朝はやっていない。三木助の型で、師匠・談志もやったそうだが、談春師匠はそれを踏襲する形で演じ、少なからず噺にドラマ性を加えることに成功したのではないかと思った。

立川談春「火事息子」
臥煙になった藤三郎が母親と会話をしている。「あら、藤三郎、戻ってきたのかい?」「おふくろ、具合が悪いんだって?薬を飲まなきゃ駄目だよ。言えた義理じゃないけど」「良くなって、どうするんだい?お前の後ろにある大きな傷は、チャンバラして遊んでできたものだよ。思い出したくなくても、この家はお前の思い出で溢れているんだ。私は一日も早くお迎えがきてくれないか、それだけを楽しみにしているんだ。寿命が伸びて、何の幸せがあるんだよ?」「俺が家に戻ってきたら、薬を飲むかい?」「戻ってきてくれるのかい?本当かい?」・・・。ここで臥煙仲間に起こされる。「藤三郎!お前、夢を見てたろう?涙ぐんでいるぞ。おふくろの夢か?ここに来て、4年。まだ見込みはあるな。俺なんか、もう親の夢は見なくなった。博打の夢ばかりよ。おふくろの夢で涙をこぼすなんて、幸せかもしれないぞ」。そこに火事との知らせ。臥煙たちは一斉に飛び出す。

神田の質屋、伊勢屋では、蔵の目塗りで大わらわ。鳶頭の手が回らずに、番頭が梯子をかけて、蔵の上にあがるが、極度の高所恐怖症で土の玉も満足に受け取れず、しまいには玉を顔に当てて泥だらけになる始末だ。その様子を遠くから眺めていた臥煙が、九尺もある路地と路地の間を飛び越えて、駆けつける。「貸してみろ」と、手際良く番頭の帯の端を解いて、蔵の折れ釘に絡める。「手を離してみろ。これなら大丈夫だ。両手があく」。そのうちに、火事も鎮火に向かい、騒ぎは一段落した。番頭が旦那にさっきの臥煙が会いたがっていると伝える。

「あの折、お手伝いをしてくださった方です」「餅は餅屋。人間技とは思えなかった。驚いたな」「是非、旦那に会ってご挨拶を申し上げたい、と」「お前の方で、うまくやっておくれ」「こういうときに、会っておいた方がいいんでは・・・」「誰だ?」「勘当になった若旦那です」「アレが?藤三郎?下手すりゃぁ、命にかかわる。飛び損なったら、どうするんだ。私は会わないよ。赤の他人だ」「赤の他人だからこそ、挨拶するのが人の道ではないでしょうか?」。台所のへっついの脇に座っている藤三郎。半纏一枚で、小さくなって頭を下げて待っている。

「どうも、ただいまはお手伝い頂きまして、ありがとうございます。火事も湿りましたので、一言お礼を申し上げます」「お変りもございませんで、おめでとうございます。お陰さまで、私は達者です」「お前も変わりないと言いたいが、随分綺麗に絵を描きましたね。見る人が見れば、伊瀬屋の若旦那だとわかります。両親の顔に泥を塗るとはこのことだ!お引き取り願います」。父親の抑えていた感情が奔る。藤三郎は返す言葉がない。どうして、堅気の息子がこんな姿になってしまったのか。火事が好きで、町火消しになりたいという息子の願いは、その筋に手を回して断ち切ったが、あろうことか家を飛び出して臥煙に身を投じるとは。無い子には泣きを見ぬとはこのことか。老いの嘆きは止まることをしらない。

番頭が母親を呼んだ。愛玩する猫を抱えて出てきた母親は、「お目にかかりたいって誰なの?」「若旦那が・・・」「藤三郎が?」。猫を放り投げて、興奮する母親の感情表現がいい。「なんて寒そうなナリをしているんだい。まぁ、綺麗に絵が描けたこと。達者なのかい?家を出て、4年になるよ。お父っあんと二人で眠れない夜を過ごしているのよ。商いは益々繁盛すれども、誰に残す財産でなし。お前も達者で良かった!」。強がる父親とは対照的な描き方である。「町内の鳶頭が火事で命を落とした。そのお内儀さんを藤三郎の乳母にした。礼儀作法にやかましい、いい人でした。しっかりものでね。でも、火事が好きで。お前を背負って、屋根の上に乗って火事見物をする。買い与えるオモチャは纏、梯子、鳶口」。藤三郎が火事が好きになった種明かしを、愚痴のような形でする母親がいい。

「寒そうなナリじゃないか。結城の着物があったろう?箪笥を見ておくれ。これを見るとね、お前を思い出すんだ。この子に持たせたく思います」。「打っ棄ちまえ!捨てたら勝手に拾っていくだろうから」と父親。「そうですね。蔵の箪笥ごと、捨てましょう。近所に大きな火事があったら、また会えるかもしれない。お祈りをしましょう」。父親のひねくれた愛情に呼応するかのように、気持ちを高ぶらせる母親。「黒羽二重の紋付きに仙台平の袴、小僧をつけてやりましょう」・・・「火事のお陰で会えたんです。火元に礼に言いに行かせます」で、サゲ。冒頭、師匠は「円生のセココピーの会にようこそ」と自虐的なことを言ったが、父と子の他人行儀なやりとりが、引き裂かれてしまった恩愛を一層深く掘り下げていた。そして、父親とは対照的な母親のストレートな愛情表現が、聴く人の胸に響く。円生師匠のまだ足元には及ばないが、人情噺としての表現力の一端が垣間見える素敵な高座だった。