【談春アナザーワールドⅠ】「鰍沢」

立川談春師匠が2010年1月にスタートして、18回にわたっておこなった「談春アナザーワールド」の当時の記録を残しておきたい。きょうはその1月の第1回だ。

談春師匠が月例の独演会をはじめた。3日連続公演をとりあえず、6月まで続けるそうだ。昭和の名人、円生は何でもできる噺家で、噺を横へ広げていく努力をした人だ。対して、文楽は噺を縦に深めていく努力をして、十八番を磨くことに心血を注いだ人だ。談春師匠は、今年、前者の横に広げていく努力をしたいという。噺家20周年で、談志が誉めてくれた。アンチ談志ファンにも気になる存在として、位置づけてくれたことは嬉しかった。そして、2年後に「談春七夜」をやった。言ってみれば、「志ん朝ごっこ」なんだけど、これで落語ファンからは、気になる存在になった。そして、25周年。歌舞伎座で親子会をやり、大阪のフェスティバルホールでの独演会も成功させた。これで、落語ファンのみならず、落語を知らない世間一般の人たちも、「談春という上手い落語家がいるみたいだ」という、認知度が高まった。

さて、これから先の25年をどうしよう。引き出しにしまってある、好きな噺だけでは足りない。横に広げる努力をしてみようと思った。ネタおろし、もしくは昔に演ったんだけど、そのままにしていて演らなくなってしまった噺を蔵出しという形で演じてみようか。いわばワークショップ、勉強会みたいなものをやってみようと考えた。で、この「アナザーワールド」なるものを始めてみた。でも、問題がある。これまで演ってこなかったというのは、その噺が好きじゃない、向いていない、何が面白いかわからないという理由があるからだ。そこを、お客様がどこまで我慢できるか?暫くの間、お付き合いください。そういう趣旨説明の後、「鰍沢」に入った。

立川談春「鰍沢」
身延山参詣の途中に道に迷い、降りしきる雪の中を寒さに震えながら、念仏を唱え、さまよう旅人。遥か遠くに灯りを見つけ、やっとの思いで一軒のあばら屋に辿り着く。「少々、伺います。道に迷いました。鰍沢へはどう行ったらよろしいのでしょうか?」「鰍沢ですか?わかりませんねぇ」「雪に降られて難渋しています。物置の片隅でも結構です。一晩、お宿を取らしてもらえませんか?」「お泊めしても、食べるものも、布団もありませんが、それでよかったら、どうぞ中へ入りなさい。草鞋を解いて、焚き火をくべて、温まったら」「道は確かと思っていましたが、酷い雪で。お陰で命が助かりました。遠慮なく、温めさせてもらいます」。凍え死にするところを助けてもらった旅人の安堵感。囲炉裏の火に当たりながら、骨を刺すような寒さから一心地ついている場面の描写が細やかで、外の厳しい雪と寒さを見事なまでに想像させる。

火に当たっていた、旅人は火の先に見えた女主人の顔を見て、ハッとする。歳は36、7。柔らかものではあるが、継ぎはぎだらけの着物を着たその女は、色が抜けるように白く、鼻筋が通って、口元が引き締まっている。どうして、この山の中にこのようないい女が・・・と思うような、器量の良さ。そして、顎から喉にかけて突き傷のようなものがあることが、余計に気になる。「お生まれは?」「江戸なんですよ」「土地の方ではないような気がしたものですから。江戸はどちらに?」「浅草に」「吉原においでになったことはありませんか?」「ちょっと、あそこにいたこともあります」。以前に吉原で一晩共にした花魁との偶然の再会。不思議な緊張感が噺をぐっと引き立たせる。「間違えましたらお詫びしますが、ひょっとして、熊造丸屋の月之兎花魁ではございませんか?」「はい」「そうですか。初めてお目にかかった時から、よく似た方だと思っていました。あれは一昨々年、二の酉の晩でした。六十格好の年寄りを連れて、店に入ったときに、私の相方になってくれたのが花魁でした。行き届いたいい花魁だな、と思い、すぐに裏を返さなければと思ったのですが、親父が煩くて。親父が7日、家を空けたときに、吉原に行って、花魁を指名すると、『他の花魁では駄目か?』と言われ、『実はここだけの話、あの花魁は心中した』と聞きました。なぜ?神も仏もあるものか。それ以来、遊ぶ気もなくなり、堅くなりました。この度の身延山参詣は死んだ親父のお礼参りなんです。こうして助けてくれたのが、あの時の花魁とは、まるで夢のようです。これもお祖師様の引き合わせ」。

旅人の気さくな人柄に安心したのか、今はお熊と名乗っているその女は、心を解いて、心中未遂の顛末を打ち明ける。「覚えています。あの頃のことが懐かしいです」「でも、人はロクなことを言わない。花魁が心中したなんて」「いえ、それは嘘じゃないんです。心中したんざます。心中のし損ないでね。その時の傷がこれです」。と、顎から喉にかけての傷を指す。「品川に行って、女太夫になり、二人で逃げて、今はこうして山の中で隠れて暮らしているんです。今の連れ合いはその時の・・・本町の生薬屋のしくじりでね。膏薬を練ることは知っていますから、熊の膏薬を売って歩いています。あとは、猟師の真似事を」「命までもと惚れあった二人、山の中で暮らしているなんて、狂言作者が聞いたら、黙っちゃいないですよ」。そう言って、旅人は懐から2両ばかりの金を出し、「手土産代わりです。差し上げたい。私の気持ちです」と、女に渡す。「せっかく、そう言ってくれるんだったら、遠慮なく頂戴します」と女は受け取る。

「昼遅くに食べたので、腹は減っていないんです」という旅人に、「寒いでしょう。一口差し上げたい。でも、地酒は嫌な匂いがするんです。玉子酒を作って差し上げましょう」と、女は気を利かす。「主、召し上がってくんなんし」「私は、まるっきりの下戸なもので。身体が温まれば、それで良いのです。ありがとうございます」。玉子酒を飲みながら、「あー、これは結構な。しかし、驚きますな。雪の中、命が助からないと、覚悟を決めていた。地獄極楽紙一重ですなぁ。これもお祖師様のお陰。南妙法蓮華経」。さらに饒舌になる旅人。「酒が身体を駆け巡っていきます。花魁はお変わりありませんなぁ。相変わらず、美しい。吉原にいた頃は、絵で言えば、極彩色の美しさ。今は、墨絵の美しさというのか。器量の良い方はお得です」。だが、その美しさの陰に隠れた、したたかな女の魂胆を旅人は知らない。

「外からは焚き火。中からは玉子酒。両方から温められて、人間のカステラができるようです。もう、いけません。本当に下戸ですから。朝から歩きづめで、本当はご亭主が戻るまで起きていなきゃいけないんですが、先に休ませていただいてもよろしいでしょうか?」「向こうの三畳に、床が延べてあります。煎餅布団ですが、休んでください。あっ、それから、わちきは構わないんざますが、前に一度出た客だとわかると、家の者が何を言い出すか、わからないので、内緒にね」「焼き餅を妬かれるような雁首ではないんですが。では、お先に・・・」。旅人は酒の酔いと昼間の疲れから、前後もわからずにグッスリと寝入ってしまった。

お熊は酒を買いに雪の中を出かけていく。その留守中に、熊の膏薬売りから亭主の善三郎が帰ってくる。「寒い、寒い。耳がちぎれそうだ。お熊!何だ、いないのか。焚き火が消えかかっているじゃねぇか」。焚き火に当たる。傍に置いてあった玉子酒を見つける。「亭主が雪の中、一生懸命歩いて商売しているのに、いい気なもんだ。ん?まだ、入っているじゃねぇか」。「生臭いな」と言いながら、冷えた玉子酒を一気に飲み干してしまう。「あまり美味いもんじゃないな」と言って、焚き火に当たり、「お熊はどこに行きやがったんだ?」。見慣れない合羽を見つけ、「泊り客でもあるのか?」。そこに、お熊が戻ってくる。「誰だい?戻ったのかい?戸を開けておくれ。徳利を取っておくれ」「どこに出かけていたんだ?」「お前の寝酒を買いに行っていたんだよ」「てめぇで開けて、勝手に入れ」「カンジキが切れちまったんだよ」。「ちょっと、待て」と、起き上がろうとする亭主は突然、もがき苦しみ出す。「お熊!」「どうしたんだい?顔色が変わっているよ。何か変なものでも食いやしないかい?」「玉子酒・・・」「え!?この玉子酒には毒が入っているんだよ!」。尋常じゃない苦しみ方をする亭主の描写が壮絶極まりなく、噺にどんどん引き込まれる。「奥に旅人が泊まっている。どう見ても、百両という金を持っている。それで、痺れ薬を入れて飲ませたんだよ!」「助けてくれ!」「飲んだものはしょうがない。お前も散々悪いことをしてきたんだ。諦めて、死にな!諦めて、あっさり死にな!」。のたうち回る亭主を突き放すように、発したお熊の冷酷な言葉にゾッとする思いだ。

騒ぎを聞いて、慌てた旅人も毒が効いて、自由に身動きが取れない。利かない身体をいざりながら、竹でできた壁を突き破って、雪の中へと転がる。小室山で戴いた毒消しの護符を破って、雪と一緒に口の中に放り込み、南妙法蓮華経とお題目を唱えると、いくらか身体が利いてきた。逃げる旅人。「おのれ仇、撃ち殺してやる」と、鉄砲を抱えてお熊が追いかける。鰍沢の急流の断崖絶壁に追い詰められる。前は崖。後ろは鉄砲。噺に張り詰める緊迫感が襲う。お題目を唱えつつ立ち尽くす崖の上、足元の雪が崩れた。雪崩とともに川へ落ちる。そこは丁度、山筏の上、道中差しが鞘走り、筏を繋いだ藤蔓を切断した。見る見る急流を下る筏。岩に激突して、筏はバラバラに。旅人は一本の丸太にすがりつく。断崖絶壁からは、お熊が旅人に狙いをつける。南妙法蓮華経・・・。お題目を唱える。お熊が一発、鉄砲を放つ。ズドーン。弾は髷をかすって岩に砕けた。「あぁ、お材木(題目)で助かった」。

前半のお熊と旅人との安堵感に包まれているように見えながらも、緊張感が見え隠れする対話場面。後半の雪道の中、命からがら逃走する旅人を鉄砲を持って追いかけるお熊というスリリングな場面。そこに共通して見えてくるお熊という女の怖さがきっちりと浮き彫りにされた。そして、見逃せなかったのは、亭主の善三郎が痺れ薬が利いて、悶え苦しむ壮絶な場面の迫力の演技だ。サスペンスとしての落語をとことん追求した、素晴らしい高座だった。