【伊東四朗83歳】生涯、いち喜劇役者。(下)

NHK-BSプレミアムの録画で「伊東四朗83歳 生涯、いち喜劇役者」を観ました。

きのうのつづき

伊東四朗、デビュー21年目の昭和54年。ついに憧れの森繫久彌との共演を果たす。撮影の合間に声を掛けて、高校時代に観た映画の話をした。「おい、いい歌だな。誰の歌だ?」「いや、先輩の歌ですよ」「歌った覚えがないな」。

それで、「お前、今度カセットレコーダー持ってこい」って言われて、本人のところに持って行ったら、「本気だったのか?」って。とても嬉しそうにいろんな歌を吹き込んでくれました。至福の時間でしたね。

コロナのステイホーム中も、毎日ウォーキングを欠かさない。「脚から衰えるといいますので、なるべく歩いて。無理して走ったりはしない」。一日一万歩、およそ6キロを歩く。そして、真冬だというのに、Tシャツ一枚で日光浴。

食事もこだわりがある。三食必ず、納豆を食べる。塩麴やネギ、味噌などと和えて食べる。そして、食後の運動はスクワット20回。いつまでも現役でいたいという強い思いがあるからだ。

てんぷくトリオの戸塚睦夫は48年前に42歳でこの世を去った。三波伸介も39年前に52歳で天国に召された。渥美清は25年前、68歳で亡くなり、森繫久彌は12年前に96歳で大往生した。

そして、去年暮れに盟友だった小松政夫が78歳であの世に逝ってしまった。

小松政夫という人は世の中の些末なことを拾ってくる天才でね。私にないものを補ってくれる人かなと思っていました。

生前、小松は伊東についてこうコメントしている。

私が知っている伊東四朗は喜劇役者だということですね。シリアスなものから歌舞伎、タップ、それから日舞、時代劇、何でもこなす。本物の喜劇役者だと思います。

伊東が小松を振り返る。

彼が死ぬということが、まったく私の中になかったですから。何?と言っちゃいましたから。ちょっと納得できなかった思いは残っています。もう一度会いたかったなというのが私の実感です。もう一回、コントやってみない?とでも言ってみたかったですね。

伊東の次男、孝明は父に憧れて俳優の道を選んだ。だが、子供の頃は父が何をしている人なのか、わからなかったという。寡黙な人で、家では多くを語らない。それが、5歳のときにテレビで「ベンジャミン伊東」が炬燵の上で踊っている姿を見て、これは似ている!と思って帰宅した父にお願いした。

踊ってみてくれる?

すると、父は思い切り息子の前で踊ってくれたという。そして、孝明はテレビ番組の公開収録に行き、父親の前で電線音頭を踊った。あれから40年。父に対する気持ちは変わっていない。「兎に角、大きな存在。唯一無二。誇らしい。まだまだ共演したいし、盗みたい」という。

伊東の記憶力は弛まぬ訓練に裏打ちされている。老化とともに、記憶力は低下するが、それを補う努力をしている。パーソナリティーを務めるラジオ番組の本番前では、自分のスケジュール帳から気になった時事ネタを台本に書き移し、話題にする。円周率は1000桁まで言えることを、番組の中で実証していた。アフリカ大陸の国の名前をすべて言える。

伊東は語る。

一応、役者をやっていますので、セリフ覚えが悪くならないように、少しは助けになるかと思って、こんなことをやっています。

若い頃のように体を張った演技はできない。その分、森繫から学んだ間合い、ちょっとした動きで観客の心を掴む。

ラサール石井のコメント。

喜劇のDNAを受け継いでいて、いまも現役の人は数少ないので、伊東四朗ならではというか、他に類を見ない。だから、ああいう風になりたいと思うわけです。

戸田恵子のコメント。

舞台って目に見えない部分での力を発揮することってすごく重要だったりするんですよね。セリフだけじゃなくて、伊東さんはセンスの塊です。稽古場で面白い。本当に憧れの人。身近に伊東四朗というお手本があって、すごくラッキーだったと思います。

昭和、平成、令和。喜劇役者としての誇りを胸に第一線で走り続けてきた伊東四朗、83歳。いち、喜劇役者として、役者人生にまだ幕を降ろすつもりはない。

喜劇の中には全てのものが入っていると思っていますから。そこから外れたいとは思っていません。(生涯)喜劇役者でありたい。

仕事のオファーがある限り、全力投球を続ける伊東四朗を尊敬するばかりだ。