【向田邦子没後40年】男女、家族、友情。人間の機微を描いた才能は51歳で台湾の空に消えた(下)
NHK―BSプレミアムの録画で「アナザーストーリーズ 突然あらわれ突然去った人~向田邦子の真実~」を観ました。(2021年1月19日放送)
きのうのつづき
第3の視点は「向田ドラマ 最後のヒロイン」である。
遺作となったのは81年TBS放送の「隣りの女 現代井原西鶴物語」である。主役は桃井かおり。これまでの向田作品になかった領域のドラマに挑戦した。
桃井かおりが語る。
私たち、向田さんがいた時代に女優をやった女優は皆、向田さんの作品に出れば輝いていましたよ。この人にはかなわないと思っちゃいますよ。私たちの時代は芸を売るというより、存在を売るという感じだったので、私はどんな存在なのかというのも売り飛ばしていた。だからスタッフにも本屋(脚本家)さんには特に素材として使ってくださいっていうエネルギーがすごかった。
プロデューサーの田澤正稔が振り返る。
テレビの脚本よりも小説だとかエッセイの書き手に進んでいかれるのではないかという思いも漂っていたんですね。だけど、当たって砕けろということで行ったら、何と快諾されたんです。3つのコンセプトを提示されました。人妻の性、ネクストドアストーリー、井原西鶴。向田さんの中にやりたいものとして、この3つがあったんですね。
井原西鶴の「好色一代女」を下敷きに、平凡な主婦が隣りの女の情事に刺激され、奔放な性に目覚めていく物語だ。
田澤が続けた。
桃井さんっていう人に対する興味関心は半端じゃなかった。ちょっと危ないというか、扱いがいろいろと大変だぞという問題はある。だけど、資質としては非常にある。そこに桃井さんを置けば、時代を表現できるという女優さんの一人でしたね。
80年代は、高度成長が終わり、バブル経済に突入する間の「一億総中流時代」。そこで何か満たされない平凡な主婦を描くことは向田の狙いだったのだろう。
さらに田澤のコメントだ。
台本を読むでしょ。今でもゾクゾクするよ。ドラマの重要な場面、脚本には上野から谷川岳までの駅の名前が並んでいるだけ。この不思議なセリフは、このアパートの隣りの部屋から薄いモルタルの壁越しに聞こえてくる。昭和でないと、あの“谷川岳のぼり”は成立しないのよ。昭和の匂い、昭和の香り、昭和の響き。昭和が立ち込めている。
主人公のサチ子(桃井かおり)は、男(根津甚八)を追いかけて、ニューヨークまで行ってしまう。桃井が「行くかな?」と問うと、向田は「行くんじゃない?」と答えたという。
サチ子「独立。自由」
麻田「女はそういう言葉が好きだな」
サチ子「持っていないからよ、女は。結婚したら、二つとも無くなっちゃうもの。人を好きになっちゃいけないのよ。恋をするのは罪悪になっちゃうんだから」
視聴率は25%を記録し、桃井は向田に次回作の約束をした。今度のテーマは夏目漱石の「虞美人草」だと。桃井はそのとき、29歳だった。
桃井は語る。
私なんか、ものすごく面倒くさい、小生意気なガキだったに違いないので、そのときに、何か俳優としてのヒントをくれようとしていた作品だと思うんですよね。ブスなのにカッコイイ役をやりたがっている桃井かおりに、「あんた、本当にブスだから」って言ってくれたのが「隣りの女」だった。あんた、こっち側の人間だからね、と鋲を刺されたような思いですからね。向田さんが何をしてんだろうということですよ。死んで何をしてんだろうと。
桃井かおりは向田邦子の亡くなった年齢を超え、今年、70歳になる。
老いに関して、死に関して、長生きに関して、向田さんのエッセイがほしかった。生きていることを小洒落たことにしたいんです。これからは老けてみせますよ、きっちり。皺くちゃになってみせますよ、見事に。向田さんの血を浴びた女はこんな風に育っています。
向田ドラマは昭和の香りがする。それは、向田邦子が昭和56年に亡くなったからという単純な理由ではない。向田のドラマを観ても、エッセイを読んでも、小説を読んでも、何とも言えない昭和の香りがキュンとする。それは今もそうだが、昭和に生きている時代、僕が高校生、大学生だった時代にも、ほかのドラマとは違う特別な「昭和の香り」がした。それが大好きだった。もし、向田邦子がまだ生きていて、脚本を書いたとしたら、平成とか、令和とかに関係なく、「昭和の香り」のするドラマを作ってくれただろう。
最後に「あ・うん」の中でも僕が最も好きな脚本の部分を抜き出して、締めくくりたい。
門倉「物は相談だけどな」
仙吉「判っている」
門倉「おい」
仙吉「二十年のつきあいだぞ。そのくらい判らなくてどうする」
門倉「判るか」
仙吉「『名前は俺につけさせてくれ』」
門倉「違うんだよ」
仙吉「――」
門倉「生れた子供なあ。大砲がついていたら、お前にとってもはじめての男の子だ、おめでとう、でかしたで引き下るよ。もしも、ついてなかったら――」
仙吉「女の子だったら」
門倉「俺にくれないか」
仙吉「――」
仙吉、答えずだまって、門倉の「エアー・シップ」(舶来たばこ)から一本抜いて、火をつける。
門倉「駄目か」
仙吉「――嬉しんだよ」
門倉「水田――」
おわり