【向田邦子没後40年】男女、家族、友情。人間の機微を描いた才能は51歳で台湾の空に消えた(中)

NHK―BSプレミアムの録画で「アナザーストーリー 突然あらわれ突然去った人~向田邦子の真実~」を観ました。(2021年1月19日放送)

きのうのつづき

第2の視点は「向田邦子 小説にこめた想い」である。

今回の取材で新潮社から向田の肉声の録音テープが発見され、流された。

小説っていうのははっきり言えば、嘘でございますから、誰もこれは向田邦子の話だなとか思いませんよね。もしも思う人がいても、小説だと言えば、逃げきれますから。

向田に小説を書くことを勧めたのは、当時「小説新潮」の編集者だった横山正治だった。彼女の小説が掲載された雑誌の広告が、皮肉にも台湾の航空機墜落の記事の下に載っている。「ビックリしました。雑誌の発売日だったんです。知人から連絡があって、彼女のスケジュールを調べたら、台湾に取材旅行中だった。搭乗者名簿にK.ムコウダという名前が載っていると」。

横山は向田から原稿を受け取るときの様子を教えてくれた。

「ちょっと読みますね」と言って、読み始められる。淡々とした調子で。おそらく向田さんはアンテナをピンと立てて、最初の聞き手である私がどういう反応なのかを感じ取ろうとしていらした。同時に、書いたばかりなので、変なところがないか、このつながりでいいか、確かめていたのだと思います。

冒頭の肉声の録音テープは、1981年2月15日、「著者を囲む集い」のものだ。

テレビドラマというのは、何本書いてもシャボン玉みたいに消えてしまうんですね。消えてしまう良さもあるんですけれども。テレビを10年やってきたけれども、世の中には何も形が残っていないんだなということに気が付きまして。

大石静は小説を書こうと考えたことと、がんになったことは関係があると推測した。

病気をされたから、死を身近に感じるんじゃないんですか。がんになったりすると。再発すれば、もうダメかもしれないと思う。普通、元気だったら、40代で死を隣には感じないけれども、手術なんかすると、いつ(死が)来るかわからないなと思ったら、じゃあ、思った通りにやりたいと思ったんではないでしょうか。

横山が振り返る。

着物の袂にゴミが溜まりますよね。綿ごみというか、気が付かない間にこんな玉になっている。塊になっているものを、そういう類のことをテーマにしたいとおっしゃって。

短編の連載がこうしてはじまった。

連載のタイトルはその間に決まりましたね。向田さんの方が「思い出トランプ」と。トランプというと13枚だから、13回の連載ですねという話になって。

のどかなエッセイに近い作品を想像していたが、原稿は男女の愛憎劇だった。

男女関係の微妙な話がほとんどなわけですけれども、予想していなかったですね。

直木賞の対象の一作、「かわうそ」から

厚子のおろしたての白足袋が弾むように縁側を小走りにゆくのを見ると気がつかないうちに、おい、と呼び止めていた。「なんじゃ」。わざと時代劇のことば使いでひょいとおどけて、振り向いた厚子を見て、宅次はあっと声を立てそうになった。なにかに似ていると思ったのは、かわうそだった。(中略)

かわうそはいたずら好きである。食べるためでなく、ただ獲物をとる面白さだけで沢山の魚を殺すことがある。(中略)

厚子の声が聞こえてきた。宅次の具合をたずねる隣りの奥さんに何かしゃべっている。歌うような声で明日のお天気を話すように、宅次の血圧のはなしをしている。(中略)

写真機のシャッターがおりるように、庭が急に闇になった。

向田邦子没後20年のときに、「向田邦子の恋文」が出版された。向田は20代の頃、10歳以上年上の妻子あるカメラマンと付き合っていた。そのカメラマンは脳卒中で倒れてしまった。これは「かわうそ」そのものだった。

邦子 都市センターがいっぱいでホテル日航に入っています。(中略)28日は夕方までうちで仕事をして、久しぶりにいっしょにゴハンをたべましょう。邦子の誕生日ですものね。

男 シチューを頂戴。なかなか、うまい。つい食べ過ぎそうです。チリ鍋は今夜のたのしみ。(中略)では仕事が一段落したら、(中略)おめかしもどうぞ――。

和子が語る。「出したくはないです。妹としては。妹としては、出さない方が本当かもしれない」。

この出版を推したのが横山だった。

ずっと後世のことを考えても、こういうことがあったのは、残しておいた方がいい。若い時の向田さんが走り回っているのが浮かんでくるような手紙とメモだったものですから。それを繋ぐのは和子さんが書いてくださらないと駄目だったんで。

和子が語る。

横山さんの一言で目が覚めました。「どんな下手でも、どんなに遅くても待ちますよ。あなただけしか書けないことをお書きになるのを待っています」って。

向田が小説を書くようになったのは、自分をさらけ出せる場だったのかもしれない。

大石静もそのようにコメントする。

絶対に小説というフィクションにしなかったら、向田さんの言いたいことは言えなかったと思う。

和子が付け加えた。

本人にとって幸せであっても、(妻子ある男性との恋は)両親にとってはあまり快くないことはわかりすぎている。だからこそ、そこに踏み出せなかった邦子さんの優等生はちょっとかわいそうかなと私は思う。自由奔放にね、自分の思うままに生きたら、違う邦子さんがいたかもしれないわね。

向田の肉声の録音テープでは、「かわうそ」についてこう語っている。

走り書きで書いた「かわうそ」を読もうという気持ちにならないんですよね。自信がないのと、読みたくなかったんですね。それでずっとほっぽらかしていたんです。夜中の1時頃にガウンを着て読んでみたんです。そうしたら、私が今まで書いてきたものの中ではスーッと自分の気持ちがスーッと通っていましたし、書いたものの中では自分の気持ちが一番素直に出ているように思いました。

つづく