【英雄の哲学 イチロー×矢沢永吉】④イチローと鈴木一朗を分離できて、すごく楽になった。完璧主義に「許す」気持ちが出てきた

BS―JAPANの録画で「英雄の哲学 イチロー×矢沢永吉」を観ました。

きのうのつづき

対談は二人のカリスマ性に関わる内容に進んだ。

イチロー 以前は常にイチローも仮面をかぶって、飯を食っているところなど、人目に晒される可能性のあるところでは、イチローであったんですけど、あるときから、それはグラウンドの上、基本的には野球場以外は自分らしくいたいな、という瞬間が訪れて、それ(仮面)を脱ぎだしたんです。

矢沢 何歳くらいで?

イチロー ここ3年くらいですかね。29歳くらいのとき。

矢沢 僕もそうでしたよ。もう、頭にきたの。どこへ行っても、矢沢、矢沢って見るな!と。でもイチローさんの場合は、その仮面を外しても、鈴木一朗という部分を出しても、どこかでちゃんとキープしていると思うんですけど。僕はね、一回、ボロボロになってやろうかと思ったときがありましたね。一時期、滅茶苦茶に酒を飲みまくって、どれくらいかな、毎日と言っていいくらい、朝8時まで飲んでいるときがありましてね。それで、よく冗談で、「矢沢?矢沢がなんぼのもんよ?」って、自分で言うんですよ。「なんなら、フルチンで六本木走ってやろうか。やっちゃおうかな。そうしたら、一瞬で矢沢は終わるんじゃない?」。自分を傷みつけたいくらいの頃がありましたね。28~32の頃。

どこかで疲れているんだね。尋常じゃないと思いますよ。人に見られるとか、そういうことを長いことやっているとね。普通じゃないよね。ナチュラルじゃないもの。なんで?自問自答の中で、これって予定外じゃない?俺はただ歌で成功したかったのに。プラスアルファでこういうものがあるというのは、計算になかったよ。虚像の世界の闘いになるんでしょうけど。

そこを超えるとね、イチローさん、面白いことが起きるのよ。45くらいになると、そうだ、俺は矢沢なんだ。俺は応援してくれるファンの皆の矢沢なんだ、みんなの矢沢をちゃんと見てくれ。今度は一皮剥けた矢沢永吉をやろうと思う。今、そういうところがあります。これ、50になってからだね。30の頭くらいのとき、こんな仮面脱いでやる、ステージではきっちりやる、だからステージの外ではほっといてくれよ、と思っていたのに。それだけ、真面目なのかもしれない。不器用なのかもしれない。

イチロー 僕の場合はイチローというものがポーンと先に突っ走ってしまったので、それを追い掛ける僕がいたんですね。イチローに追いつこう、早く追いつきたい。これが3年くらい前なんですけど、「ああ、イチローをちょっと追い抜いちゃったかな、僕」という感覚が出てきたんです。その時、初めてイチローと鈴木一朗というものが僕の中で分離させることができて、ものすごく楽になれましたね。人目に触れる場所にもよく行くので、一般に方にもよく会うんですね。そのとき、「こんな感じの人だったんだ」という風に言われるんです。中には、「会わなきゃよかった」という人もいますけど、それが嫌だったんです。イチローのままでいたい。それを好きでいてくれる人に対して、イチローを演じていよう、期待を裏切らないようにしようと。割と、物静かで、ぶっきらぼうというイメージがあるみたいですけど、そのままでいたんですね。もう疲れちゃって。ものすごく楽になったんですね。またそれを超えるときがくるとおっしゃっていたので、それが楽しみですね。

矢沢 イチローさんの場合はどうだろう?鈴木一朗を分離させたんだと。それで楽になったと。イチローさんの場合はそれで完結したんじゃないかな。このままいけばいくほど、いいんじゃないですか?

イチロー 自分に対してもそうですし、他人に対しても、今までは何かミスをすること、失敗を許さなかったんですね。自分に厳しくしていた。でも、他人にも厳しかった。これがスタイル、スタンスだったんですね。これが、「そんなこともするよなあ」、他人同士つきあっていたら、嫌なところいっぱいあるけど、いいところもある、そこに目がいくようになったんですね。

自分も完璧にやりたいと思っていたんだけど、自身の中で「甘く」ということじゃないんですけど、許してしまう。許す気持ちが出てきたときに、「これ、イチローより上にいっちゃったかな」と感じたんですよ。それが分離できたという意味です。今、自分の中でやりたいと思っていることは、「自分にはもちろん厳しく、他人には寛容に」。それができちゃう。

矢沢 それ、最高だね!それを聞いてて、僕は恥ずかしいよ、自分が。それしかないね。

つづく